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雑感

2015.01.13

「言論の自由」と、国家や宗教のレベルでの「名誉毀損」と。

■2015年1月11日の日曜日に、パリで反テロリズムと言論の自由を訴える巨大デモが行われた。各国首脳がデモの戦列に加わる、って、歴史的にも今までない光景なのでは。デモは「民衆」のもの(「首脳」は糾弾される側)、みたいな、私のなかのステレオタイプに照らし合わせると、どこか奇妙な居心地の悪さを感じる。欧米vsイスラム、それはもう世界史レベルの地殻変動で、これが今まさに可視化されているんだな、みたいな気分。

■そして同時に、新聞社襲撃犯に射殺されたアルジェリア系イスラム教徒の警官や、あるいは、デモ隊のプラカードやテレビ画面のオバマ大統領の胸のバッヂにある「Je suis Charlie」の標語に思いを馳せる。

■Wikiをチェックすると、襲撃された週刊風刺紙「Charlie Hebdo(シャルリー・エブド)」はルーツを1960年創刊の月刊誌「Hara-kiri(アラキリ)」(腹切り!!)に持ち、発禁・復刊を経て1970年、「Charlie(シャルリー)」と名を改める。その紙名の由来はチャーリー・ブラウンにあった(イタリアの月刊バンド・デシネ誌「ライナス」の仏語版として再スタートした)、とのこと。ハラキリとチャーリー・ブラウン! なんだそれは。読んでみたい。シャルリー・エブドはどんな新聞で、その読者はどんな層なのだろう。

■(私の中で連想されるのは、今は亡き『噂の真相』とか、70〜80年代初頭を華やかに飾った懐かしき『ビックリハウス』とか、なんだけれど、これはわずかでも的をかすっているのか全然見当違いなのか?)

ハフィントン・ポストが伝えている、テロの犠牲になったパリのアルジェリア系イスラム教徒の警察官の名はAhmed Merabet(アフメッド・メラベ)。自らの宗教を侮蔑した新聞社の権利を守る過程で殉職した、という現実の、含意の苦さ。「Je suis Ahmed(私はアフメッドだ)」「Je suis Charlie(私はシャルリーだ)」の間の距離。

■NHKのニュースは、パリのデモに参加したムスリムの女性(スカーフを着用していた)にインタビューしていたが、パリに住む普通のムスリムたち(テロリストではない)はだいじょうぶだろうか。そういえば2001年のNY同時多発テロのとき、私自身は、あまりNYのムスリムに思いを馳せなかった。ムスリムはNYよりパリに親和性があるような、あまり根拠のない思い込みがあって、だからこそ一層、彼ら・彼女らの現況が気になる。

■仮に、シャルリーによるムハンマド風刺漫画と、ハリウッド(ソニーピクチャーズ!!)による北朝鮮金総書記風刺映画を並べて見てみる。言論の自由はもちろん一義的に重要なのだけれど、それを大前提とした上で、からかわれた側が取りうる「別の方法」について考えてみる。つまり、テロリズムによってでなく、順法的に、たとえば「名誉毀損」を訴えることによって、イスラム側(あるいは北朝鮮!)が相手(欧米)に対抗するという方法はなかったのだろうか。素朴な疑問なのです。イスラム教徒、北朝鮮政府、などの、国家以上のサイズの巨大で‘抽象的’な集団は、訴訟の当事者となるに向かないのだろうか。相手の土俵で裁かれることを忌避するという、「場」の問題なのだろうか。国際法廷にはそういう役割は割り当てられていなさそうな気がするし。これらは、法学や国際関係論をちゃんと学んだことのない私にとっては未知の、本当に素朴な問いです。

■(そして、「怒り」の制御、という大きな問題。)

2014.09.12

文豪ググ祭りの意外な愉しみ / 40年以上前の前衛演劇論(P・ブルック)が古くない

朝日新聞が死にかけている。先月の慰安婦報道訂正と昨日の福島原発吉田調書誤報謝罪で。まあそれはいいとして(よくない?)、朝日新聞で‘100年ぶりに’再連載されている新聞小説・夏目漱石『こころ』は、今日9/12の朝刊に掲載された、初出大正三年八月三日の「百二回」でとうとう、「K」が自殺しました。ここのところ、デジタル版(紙面スタイル)を時折チェックしながらずーーっと、いつ自殺の回になるのだろうか、と気にしていたもので。100年前かー。重い。

勢いで思わず、昨日の「澁澤龍彦」に続いてまた、怒濤のググウィキ祭りに走ってしまいました。馬鹿です。「こころ」への拘泥から芋づる式に、芥川だの太宰だの三島だの川端だの自死した文豪を手繰り寄せてしまった。漱石は自死していないですけれど。あ、「こころ」連載(1914年)から遡ること11年、1903年に、漱石の一高の受け持ちの生徒・藤村操が華厳の滝で入水自殺していますね。有名な事件。Wikiには「やる気のなさを漱石に叱責された数日後、自殺した」(←これは知らなかった…)と記載されているけれど、因果関係はあまり表立って取沙汰されてはこなかったような印象。

(自死に関連して、モーリス・パンゲ『自死の日本史』を再読してみようか、とも思う。)

ところで文豪関連ググ祭りを実行すると、時折笑えるまとめページなどを発見できて、これが意外に楽しいです。たとえば「夏目漱石 こころ」でググると出てくる、「夏目漱石のこころとかいう小説wwwwwww:腹筋崩壊ニュース」 というページ。2ちゃんねるのスレッドをまとめたもののようなんだけれど(←よくわかっていない)、作品中の登場人物の重要な台詞「精神的に(S)向上心のないやつは(K)馬鹿だ(B)」を「SKB」と略して美少女日常系アニメ画(オリジナル)を添える。とか。「遺書長すぎだろどんだけノリノリやねん」「先生って言われてるが遺産だけが取り柄のニート」とか。「K」の墓にもたれかかって泣く着流しイケメン風「先生」の後ろ姿のイラストとか。先生について共感?を込めて「リアルなクズっぷりだった」とか。「先生」「K」「未亡人」「お嬢さん」の4人を今風キレイ絵のイラストでキャラクター紹介したものとか。(←先生、未亡人、お嬢さんは細面の美形、Kがむさくるしい浪人顔で描かれていて、その、場当たり的かもしれないけど誰もが納得してしまうような‘解釈’に感心し大笑いしてしまう。)「こころ」が今の若い人たちの心情にもリアルに触れてくる普遍的な作品だということの証左ですよね。すごい。このページでは森鴎外『舞姫』、梶井基次郎『檸檬』、中島敦『山月記』もネタとして扱われていて、そのこと自体がこれらの作品の「現在性」を逆照射しているって事態ですね。ちなみに、「芥川龍之介」でググるとなんと最初のページの4項目め!に出てくる「【文豪の片思い】太宰治が芥川龍之介のことを好きすぎてヤバい!-NAVERまとめ」  というページも笑えます。こうしてネタにされるということは、太宰という作家もやはり普遍的に‘現在’であり続ける「愛されキャラ」なんだなあ。

午後、ノマド読書。こないだ青山ブックセンターで買ったピーター・ブルック『何もない空間』(1971初版、晶文社)を読む。歯切れよく明快で、具体的で、40年以上前の本だというのに今なお新鮮な前衛演劇論。

本日のDVD鑑賞は、さらっと、若き日のブラピ出世作でロバート・レッドフォード監督の『リバー・ランズ・スルー・イット』(1992)。公開時、その後とも観ていなくて、初見です。川面に輝く一面の光が美しい。1920年代禁酒法の時代、大都市ならrolling20sの同時代のアメリカの、大自然に囲まれたど田舎モンタナ州の保守的にして信仰厚い一家の静かな生活。‘高貴’にして荒々しくそれでいて知的なフライフィッシング。抑制vs逸脱。影と闇の存在。逸脱と闇の側へと滑り落ちていく若き美しき無謀なブラピ、そして、静かに語られる‘悲劇’。甘美にしてどこまでも哀しい回想。無意識に反芻してしまう映画でした。それだけブラピが魅力的なんだけどね。それにしてもR・レッドフォードとブラピは確かに似ている。ブロンドで美形っていう点だけかもしれないけれど。R・レッドフォード主演作、特にアメリカン・ニューシネマ系の作品はもう30年来観ていないので、そちらをまとめて鑑賞し直したくもなりました。(あっそういえばこの『リバー・ランズ…』は、「普通の『いい映画』」の類いだと思います。自分で自分の首を絞めている……)

2014.07.15

パラジャーノフとホドロフスキーをハシゴするなどバタバタ動き回った一日

ユーロスペースパラジャーノフ特集を観に行かねば、と急に切羽詰まった気分になり、ばたばたと用意をして11時からの『ざくろの色』(1971)にどうにか間に合う。タイミングが合ったので続いてアップリンクホドロフスキー『リアリティのダンス』(2013)、隙間の時間にはアップリンクから程近いSPBSに行って1冊文庫本を買う(金井美恵子『愛の生活』)。リアリティのダンス劇場鑑賞後、迷ったがやっぱり渋谷TSUTAYAにも立ち寄って稀少ものVHSを3本借り(D・シュミット、パラジャーノフ、アンジェイ・ワイダ各1本)、その後、渋谷から地元・吉祥寺に戻って他にもこまごました用事や買い物をいくつか済ませた。気分的に慌ただしかった一日。

初パラジャーノフとリアリティのダンスについてのレポートは、明日以降。

2014.07.07

雨の七夕 / 東西アジアの‘少女映画’

そういえば今日は七夕。笹飾りを飾った最後の年は2011年だった(←実は最初で最後!!w)。娘が大学に入って京都へ行き同居家族が3人に減ったばかりの頃。遠方の娘から聞き取って代筆した短冊は、「単位が取れますように」だった。(うーん。……)

今年の七夕は雨。宮古島地方には、最大瞬間風速75m・高潮14mなんていう信じられないような大災厄の予報が出ているが、果たして。

今月のTSUTAYA DISCAS第二弾として『三姉妹〜雲南の子』と『少女は自転車にのって』の2本が届いた。期せずしてアジアの東側と西側から、「少女もの」が揃い踏み。夕食後、ワン・ビン『三姉妹〜雲南の子』(2012)の方を見始める。とりあえず今晩は、2時間半のうち1時間半ぶん。たとえようのない生生しさ。その画面から、「普遍性」のようなものが滲み出る。

2014.07.04

独立記念日の花火の記憶 / シンクロニシティってあるのかな

7/4といえばアメリカの独立記念日。1990年代初めに1ヶ月間ニューヨークに滞在した時、現地在住の友人に紹介されたNY育ちのバイリンガル在米日本人姉弟と一緒に(…じゃなかったかもしれない…)ハドソン川の方へ花火観に行ったことをふと思い出す。ものすごい人出だった。あれから20数年。

TSUTAYA DISCASで届いたDVDにて、石井裕也『舟を編む』(2013)を観ている。松田龍平、宮崎あおい。評判に違わず、いいです。

舟を編むを観て感動していたら、大学4年生の娘からメールが届いて内定が出たことを知る。めでたい!めでたい!よかった。(『舟を編む』の松田龍平に自分の娘をどこか投影して見てしまっていたので、よけい嬉しかった、というか‘シンクロニシティ’めいたものも感じた)

で、その後、ユーロスペース小川プロ特集『パルチザン前史』を観に行って、家族3人(京都在住の大4娘は当然除く)で西荻駅改札で待ち合わせて大4娘の内定祝いにお寿司食べて、ビールのおかげで眠くなって、でも9時からテレビで放映された夏休み前・金曜ジブリ枠の『もののけ姫』を高2息子につられて観て、でも眠すぎで行き倒れ状に寝て1日おしまい。

2014.06.30

偶然見たTVで、蟹江敬三とジョン・カサヴェテスに出合えた

今日は偶然、午前中にひとつ、午後にひとつ、テレビドラマを注視する状況に陥った。昨日のゲリラ豪雨と落雷の影響か、CATV経由のBS放送が受信できなくなり、その対策のためにサービス元に問い合わせたりそれに伴って主にBSのチャンネルを闇雲に切り替えて録画できるかどうか試したりしていたことが引き金に。

その1)午前中のBS−TBS:初めて目にしたドラマ(2時間ドラマ!)、渡瀬恒彦主演の『世直し公務員ザ・公証人』。いきなり蟹江敬三が前面にどーんと出てきたので目が離せなくなった。今日放映されていたのは10年以上前のシリーズ2作目。蟹江敬三の存在感と奥行きは、どこから出てきているんだろう。

その2)午後のNHK-BSプレミアム:試し録画にと思って偶然そのタイミングで始まろうとしていた『刑事コロンボ』(!!)にチャンネルを合わせたら、どーん!!!とジョン・カサヴェテスの顔がアップに。著名指揮者役(つまり犯人役)でカサヴェテスがゲスト出演している回だった。カサヴェテス×ピーター・フォークの刑事コロンボといったら(そんなものがあることを今日初めて知ったのですが)もう観るしかないでしょう。文句なしに面白かった。カサヴェテスが『こわれゆく女』ジーナ・ローランズの夫役にピーター・フォークを起用したきっかけは、このコロンボでの共演だったりするのだろうか(制作年の前後関係調べてみよう)。

2014.06.25

70年代が美しく見えてしまう / 刷り込みと錯覚と

月曜に吉祥寺TSUTAYAで借りてきていたVHS2本、A・ホドロフスキー『ホーリー・マウンテン』(1973)神代辰巳『青春の蹉跌』(1974)を観た。VHSはもちろん画質が最悪なのだが、VHSでしか借りられないタイトルがあるので最近頻繁に借りている。VHSなら、ものによってはデジタルTVのハードディスクにダビングできる!ということを発見したことも後押しとなった。(ただし今回は2本ともダビング対象外。神代辰巳の方がダビング禁止プロテクト物件、ホドロフスキーの方は高2息子が間違って観るといけないので始めからダビング自粛予定だった)

ホドロフスキーはやっぱり相性が悪くて終始しかめっ面で観ることになった上、結局は冒頭30分で鑑賞を中断。だが今回は無理してでも最後まで観ようという気になっているので、続きは明日以降。一方、神代辰巳の方は最初から最後までなめるように観た。ショーケンと桃井かおり。感慨深かった。そのつもりは特になかったんだけれど、ここのところ70年代づいている。ファスビンダーも小川紳介もコアは70年代にあるし、今日の2作はなんと73年・74年とほぼ同時期ではないか。期せずして沸きあがる自らの10代への郷愁!

で、脈絡は特にないが、はしだのりひこ「花嫁」(iTunes内の音楽ファイルをスクランブルで流していたらこれが流れた)が何年の曲だったっけ、とWiki情報を出したら1971年だった。解説文に「暗いイメージのある駆け落ちを明るく前向きに表現した楽曲」とあって、意表を突かれる。これが駆け落ちの歌だというふうに思って聴いたり歌ったりしていなかった。当時小学生だったからだろうか。私の中で「花嫁」は、吉田拓郎「結婚しようよ」「旅の宿」とほぼ地続きになって記憶されている。これら一連の70年代フォークソングを真に受けて、結婚ってそういうふうに‘気楽に’‘身軽に’‘旅立ったりするものだと刷り込まれていた! これってゴッホのひまわりが「枯れている」ことに最近気付いたことにも通じるなにかなのでは。なにか、って、何か。ちゃんと言語化できるか?

2010.05.14

ナショナルジオグラフィックのブログパーツ(…感動…)

昨日、このブログに、ブログパーツとやらを3つくっつけました。

ぐぐっと下にスクロールして、左サイドバーの上から:

■MOON CLOCK■

今宵の月の形がわかるロマン溢れるなんとかかんとか、という説明文に惹かれて、即断で取ってきました。私、月の満ち欠けカレンダーの類にはめっぽう弱いんです。

紙バージョンのタイプも3年に一度は購入してます。で、その都度、1年の終わり頃になると、ほとんど1年間一度も見なかったことに気がついて、少し呆然とする。。

ところでくだんのブログパーツ版■MOON CLOCK■、実はどこで今宵の月の形がわかるのか、今のところ私にはぜんぜんわかっていません。昨日も今日も満月なんだろうか・・・

だいたいなぜなんだか、赤いし・・・・・

■ナショナルジオグラフィックの<今日の写真>■

昨日くっつけた時点では、ちっこいし、いまひとつ冴えないな、、と思っていたのですが、ところがどうして、今日になって写真をクリックしてみて、感激。

さすがナショナルジオグラフィック。

今日(2010年5月14日)のフォトギャラリーは<火星>です。クリックした先のサイトに掲載されていた火星の写真より、私が感激(…!)した2点を、ご紹介しますね。

その1)

Opportunityroverpia06739ga_2
<探査車オポチュニティが、意図せず撮影したセルフポートレート。オポチュニティは、センサーやカメラを満載したロボット地質学者である>
…火星の地表に映る、ロボット地質学者の孤独な影。泣けてきませんか???(笑)

その2)

Marsblueberriespia09077ga_2
火星の地表に張りついたこの無数のキノコのように見える物体は、<「ブルーベリー」(鉄が多く含まれる塊)>と呼ばれているそうです
<この小球が発見された地域の表面直下の層は、かつて円磨作用で小球が形成されるほど長い間、水浸しになっていたらしい>

今は乾いた大地が果てしなく広がる‘死’の惑星、火星。でも、この地で発見された「水」の痕跡は、かつてここにも地球と同じように、生命が横溢していた頃があったということを、(あったかもしれないということを、)暗示しているのですよね。

ロマンだわ。(うっとり)

(この種の感動は、‘ライアル・ワトソン的’、なんだろうか。昔、ぜんぜんぴんと来なかったんだけどな…)

火星といえば、オバマ大統領が1930年代半ばまでに火星に有人飛行を成功させるという野心的な(!)宇宙開発プランを発表しましたよね。

先日、NHKの日曜日かなんかの<ようこそ先輩>に似た番組(似ているけどちょっと違っていた気がする…)に立花隆が登場して、小学六年生の教室で、宇宙開発の意味、是非について議論をさせているのを見ました。

とても面白かった。火星を探索することで地球を、生命を知る手がかりを得ることができる、ものの見方はひとつではない、唯一の正解というものはない、と小学生たちに力説する立花隆の姿に、時代を背負ってきた迫力、みたいなものを感じました。
→ちゃんと調べてみたら、2010年5月1日放映の『人類よ、宇宙人たれ「立花隆vs小学生」』という番組でした。

(自分の子供がもう育ち上がりつつあるので、NHK教育の子供番組を見る機会がなくなっているのだけれど、『ようこそ先輩』、『週刊こどもニュース』、『ピタゴラスイッチ』、『日本語であそぼ』(←健在だろうか?)などは、NHKにしかつくれない、すばらしい番組ソフトだと素直に思っています)

さてさて、ブログパーツが、もうひとつあった。
右サイドバーです。

■ユニクロのカレンダー■

おしゃれですよね。設定が面倒だったけれど。

あと、最初に[UNIQLO CALENDAR]という表示が10秒ぐらい??出るのがちょっと、、、なんで下のほうに置きました。来た人がゆっくりスクロールしているうちに、写真に切り替わっていてくれれば、と思って。

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あー、それにしても、こそこそ誰にも知らせずにブログつくっているというのもアレなんですけど、やっぱり誰か、人に見てもらいたい。

アクセス解析のページを見に行っては、現実の厳しさに涙しています。(!?)

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2010.04.30

井上ひさし*その1/「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく」

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4月9日に亡くなった井上ひさしさんの追悼記事で、頻繁に引用されていた彼の「座右の銘」が、タイトルの文章です(ご自身の創作姿勢についての、でしょうか)。以前も同様のフレーズを目にしたことがあるのですが、いくつかバリエーションがあるみたい。

「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく」(*私のうろ覚えによる)(朝日新聞の天声人語はこれを引いてなかったかな??)

または、

「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、ゆかいなことはあくまでもゆかいに (*日経新聞の追悼記事より。掲載日不詳)(「おもしろく」と「ゆかいに」が見方によっては重複するのが気になり、どちらかというと私としては、上の私のうろ覚えの方を採用したくなる…)

wiki井上ひさしには、次のような記載がありました。

「揮毫を頼まれると、『むずかしいことをやさしく、やさしいことふかく、ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに書くこと』とよく記していた」 (重複の問題は解決されているが、「まじめに」で締めるのは、なにか井上ひさしの本意に沿わないような気が--勝手に--、する)

いずれにせよ、名言ですよね。来年の書初めでは、(といっても書初め、してるわけじゃないのですが)、ぜひ、この名言を「揮毫(きごう)」したい。「揮毫」って、頼まれて、それなりの人物が書をしたためる際にしか使うべきじゃない用語だった??(私には、筆でさらっと色紙に書いたり、筆で書いたものを写してそれを木に彫り込んだりすると「揮毫」に当たるような、そんな思い込みがあるんですが… ←日本あるいは東洋=漢字文化圏の‘土着(??)’文化ですね) 

といったところで、お題の「井上ひさし」からはひたすら離れてしまうんですが、 「書」に関心があります。(今、急に、ちょっと関心があったことを思い出した、といった方が正しいかな) いや、武田双雲さんが健闘しているあの「書」の世界に関心がある、というわけではなくて、一連の「文字」を書く、あるいは「空間にディスプレイする」、という、パフォーマンスのようなアートのような行為に、関心があります。そういうことしてるアーティスト、確か、いましたよね? うーん、名前その他をすっかり忘れてしまったんだけれど・・・ 今思い出したいと思っている人(日本人)のほかにも、ネオン管で詩とか格言とか(じゃなかったかも)を‘書く’アーティスト(これは欧米人)もいたと思うんだけど・・・・・・

古今東西の文学や哲学から気に入った文章をピックアップして、それこそ墨に筆の「書」でもいいしネオン管でもいいしパソコンのディスプレイにフォントでも紙にタイポグラフィーでもいいから、「書物」とは違った仕方で空間に配置してみる、って、なんか、やってみたいなあ。まず、文字や断章をピックアップして、それぞれについて、その見せ方を検討するところから、「プロジェクト(!?)」をスタートさせなきゃいけませんね。

空間に「文字」じゃなくて「音声」を配置すると、それは朗読だとか演劇だとかに繋がっていく。んー、そっかー。

演劇、といえば、井上ひさしさんの芝居では(と、いきなり出発点に戻る)、大昔、学生劇団が演じる『日本人のへそ』を、最近では蜷川幸雄さんの演出による旧作『天保十二年のシェイクスピア』『表裏源内蛙合戦』『薮原検校』、新作『ロマンス』『ムサシ』(去年の初演のほう)を見ています。そうだ、『きらめく星座』(『ムサシ』のチケットがなかなか取れなくて、これとの抱き合わせでようやく入手できた…)も見てた。あと、DVDでだけなんだけど、『天保十二年の…』は、蜷川幸雄じゃなくて劇団☆新感線のいのうえひでのりによる演出の方も見ています。

井上ひさしさん、劇場の客席に座ってらっしゃる姿を何回かお見かけしました。エキセントリックな風貌というのはそんなに目立たなくて、逆に、なんだかとても普通に、小さく見えたことを覚えています。

「井上ひさし*その3」で、井上ひさしの戯曲について、私が見た限りで感じたこと、考えたことを書きたい。

もうひとつ、去年の太宰治生誕百年に絡んでNHK「クローズアップ現代」に井上ひさしさんがゲストとして出演したのを見たのですが、井上ひさしによる太宰治、とても明晰で、また、私にとってはすごく斬新で、面白かったYouTubeやNHKアーカイブで映像のストックを見つけられなかったことが残念なのですが… 「井上ひさし*その2」では、これを。いつになるかな。。

井上ひさしシリーズ、 「井上ひさし*その4」井上ひさしの小説を取り上げるところまで、どうにかこうにかたどり着きたいです。

では、また。

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