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アート・デザイン

2014.08.15

ヨコトリ@横浜美術館はとりとめなくも見えた

横浜トリエンナーレの横浜美術館会場に行く(今回は横浜美術館のみ)。タイトルは「華氏451度の芸術:世界の中心には忘却の海がある」となっていて、ということは「焚書」「忘却」を謳っているわけだが、その奥に「反戦」への連想、意志が作動し、そこがテーマだったと言っていいのだろうか。しかし、もうひとつぴんとこない一群の作品があって、なんだか全体が散漫だったように感じられてしまった。(「ぴんとこない」については、2年前の夏の大阪の国立国際美術館での若手グループ展で感じたのとほとんど同じ。アート作品以前の、がらくた!?にしか感じられない作品群。しかし、デュシャンもウォホールもかつてその時代の既成の美意識にとって「がらくた」であることによって時代を切り拓くアートとなりえたわけで、ということは、今、私の感度が時代についていってないということ???、と、勝手ながらちょっと煙に巻かれたような‘不快な’?気分も味わった。)

それらのなかで私が面白いと思ったものを、覚え書き風にピックアップします。☆☆大谷芳久コレクション。戦時中の出版物(主に現代詩)。どの作家のものも戦争賛美。瀧口修造も!☆☆エドワード&ナンシー・キーンホルツ。古チェストの上に置かれた旧式テレビ受像機に大映しになっているのは糞をひねり出す尻の立体オブジェ。とか。旧式テレビ受像機をベースモチーフにした奇妙な立体作品いくつか。☆☆アリーナ・シャポツニコフ。今回いちばん好きだった作品:噛んだチューインガムが石の塀かなにかにへばりついているところを撮っただけのモノクロ写真のシリーズ。それらガムの残骸が、それぞれ未知の宇宙人のような、奇怪でユーモラスな「生き物」に見える。同時に、極小サイズとはいえ抽象的な形態の立体オブジェにも見えるわけで、その多義性(!)と、裏で舌を出して笑いたくなるような‘軽さ’の合わせ技が秀逸。同じ作家で、変形した人体の‘部分’を離人症的なオブジェに仕立てているシリーズもあって、それらにも惹かれました。

2010.06.22

大好き!ミュージアム・ショップ① / 国立新美術館 *ルーシー・リー展+オルセー美術館展

ミュージアム・ショップが大好きなんです。

…ということで、第一回目の今回は(…シリーズにするつもりでいる…)、2010年6月、国立新美術館で同時開催されていたルーシー・リー展オルセー美術館展でゲットしてきた愛しいグッズたちをご紹介します。

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まずは、ルーシー・リーのA4判・両開きフォルダーです。展覧会のポスターにも使われていた青釉鉢(1978年頃の作)。上の写真、左サイドの大アップがいいでしょ。500円。

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これは冷蔵庫に貼り付けたルーシー・リーのマグネット。思い切り寄って、器の色合いと文様をじっと見つめている感じがいいなっ!と思い、購入しました。ピンク線文鉢(1970年代後半の作)。マグネットのサイズ55mm×55mm、550円。(留めたメモが、生活感あふれる流し台のしぶきで滲んでいるところはどうかお見逃しを…)

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続いて、購入したポストカード3点、各150円。
右下から反時計回りに、

◆ピンク線文鉢(1980年頃の作)(ルーシー・リー展)・・・この図だけ見ると、まるで丸太の断面の年輪みたい!ちょっと驚き。実際は、一見ご飯茶碗にそっくりだけど立ち上がりのラインがシャープで繊細でピンクの色合いがほれぼれするほど美しい、ルーシーらしい磁器の内側を真上から写した図です。
→ルーシー・リー展のレポートも読んでくださるとうれしい

◆クロード・モネ「ノルウェー型の舟でClaude Monet/In the Norwegian, 1887年頃)オルセー美術館展)・・・なんとなく、『不思議の国のアリス』が最初に語られたという舟上の光景を連想したので、展覧会場でも思わず立ち止まってしげしげとながめてしまいました。アリス・リデルを彷彿とする女の子はともかく、語り手ルイス・キャロル、すなわちオックスフォードの数学教師チャールズ・ラトウィッジ・ドジソンの姿は、画面上のどこにも見当たらないんですけどね。どろっとした池の水面に映り込む濃い木々の緑、その水と緑と光の質感は、ほんとにモネに独特!

◆ピエール・ボナール「格子柄のブラウス(20歳のクロード・テラス夫人)」(Pierre Bonnard/Checked shirt (Portrait of Madame Claude Terrasse at twenty, 1892年) (オルセー美術館展)・・・猫を片手に抱いて皿の上に視線を落とし、料理をフォークでつまみあげようとする女性の日常の何気ないまさにその瞬間を切り取っただけに見えるこの絵。…に、なんでこんなに惹きつけられるんだろう…と思いを巡らせて思い当たったのが、そう、「挿絵」だ!、ということでした。昭和40年代半ば、小学生だった私の愛読書は河出書房(新社ではなく、倒産する以前の河出書房)のちょっと贅沢なつくりの少年少女向け世界文学全集だったのですが、その頃私が偏愛していたカラー刷りの美しい挿絵の数々、当時の一流日本人画家たちが腕をふるっていたというそれらの挿絵の一部は確かに、このボナールの絵、ポスト印象派の空気をまとっていた!
※河出書房の少年少女世界文学全集、今も手元に置いているのです。こんどひととおり、たとえば「挿絵」を中心に再見してみようかな…

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オルセー美術館展の一筆箋、これは豪勢です!絵はウラ面に全面印刷されていて(横長にむりやりトリミングしたところがオリジナル)、オモテ面の右下にも、正方形に近い左右比で縮小図が入っている。一筆箋はよく購入するんだけど、こんなふうに一枚一枚がポストカード風のしつらえなのは、初めて見ました。絵柄8パターン×4枚ずつ=全32枚で1セット500円と、お得感も抜群。

左列上から、
◆ポール・ゴーギャン「ブルターニュの農婦たち」 (Paul Gauguin/Breton peasant women, 1894年)・・・タヒチの娘とブルターニュの農婦、似てる。。。
◆フィンセント・ファン・ゴッホ「アルルのゴッホの寝室」 (Vincent Van Gogh/Van Gogh's bedroom at Arles, 1889年)・・・じっと見てたら、ベッドの脇の壁に掛かっている合わせて5枚の絵画は何を描いた誰の(ゴッホ自身の?)絵なんだろう??、と気になり出した。
◆ポール・セザンヌ「ドラクロア礼賛」 (Paul Cezanne/The apotheosis of Delacroix, 1890-94年)・・・ミケランジェロの天井画にあるような、‘天使’とそれをとりまく人々の図を、乱雑な(意図的に未完成な)筆遣いでパロディにした、みたいな??
◆エドガー・ドガ「階段を上がる踊り子」 (Edgar Degas/Dancers climbing the stairs, 1886-90年)・・・展覧会場の入り口を入ると最初に出会う絵が、これです。小さい絵なんだけど、これから始まる何かへの期待感、ワクワクするような高揚感をさり気なく引き出す効果が抜群で、会場構成の演出が上手いなー、と思いました。

右列上から、
◆クロード・モネ「睡蓮の池、緑のハーモニー」 (Claude Monet/Waterlily pond, green harmony, 1899年)・・・この絵はわりと小さかったんだけど、昔、NYのMoMAで初めてナマのモネ睡蓮に出合ったとき、その巨大さにひたすら圧倒されたことがあります。直島の地中美術館のモネ睡蓮も、見に行きたいな。
◆アンリ・ルソー「蛇使いの女」 (Henri Rousseau/The Snake Charmer, 1907年)・・・長い髪を含めて全身真っ黒(真っ暗)で目がかすかに光っている、という、女と蛇の「黒さ」のインパクトがすごい。
◆モーリス・ドニ「木々の中の行列(緑の木立)」 (Maurice Denis/Procession under the trees (Green trees), 1893年)・・・かなり不思議な絵。森の地面の緑、木々の幹の緑、人のピンク、ってよく考えると、ありえない色ですよね。ちょっとゾクッとする。(オモテ面とウラ面の両方が見えるよう配置しました)
◆エドゥアール・ヴュイアール「ベッドにて」 (Edouard Vuillard/In bed, 1891年)・・・寝ているのは子供?…みたいな、可愛い絵。会場ではこれのすぐそばに、ピエール・ボナールの「ベッドでまどろむ女(ものうげな女)」ってのが展示されていて、そっちはかなりエロティックだったんですが、さすがにグッズにはなってなかった・・・

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シール300円もお得感抜群! 上記の一筆箋と絵柄が重なっているのが5点、違うのは、上の段の左端(①)、下の段の左から2番目(②)、下の段の右端(③)の3点です。写真があんまりよく写ってなくて、すみません・・・

①クロード・モネ「日傘の女性」 (Claude Monet/Study of a figure outdoors: woman with a sunshade turned to the right, 1893年)
②ジョルジュ・スーラ「サーカス(エスキース)」 (Georges Seurat/The circus (sketch), 1890年)
③アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック「女道化師 シャ=ユ=カオ」
(Henri de Toulouse-Lautrec/The clown Cha-U-Kao, 1895年)

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ルソーの蛇使いの女のシールを、モレスキンの黒のノートの表紙に貼ってみました。(少し曲がってしまった…)

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ルーシー・リー展
会場 国立新美術館
会期 2010年4月28日(水
)~6月21日(月)
→マイレポート
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オルセー美術館展2010 「ポスト印象派」
会場 国立新美術館
会期 2010年5月26日(水)~8月16日(月)
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2010.06.18

ルーシー・リー展 / ひそやかに微笑み、歌うUTSUWAたち・・・妖精のような‘魔女’の実験室を覗き込む

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1995年に93歳で没したイギリスの女性陶芸家、ルーシー・リーの大回顧展が国立新美術館で開催されています(もう会期終了間際ですが)。先週見に行ったので、ちょこっとご報告を。
*思わずいっぱい写真を載せてしまいました!(ぜんぶ、公式カタログのページを撮っただけなんだけど…)


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*青釉鉢(Blue glazed bowl), 1978年頃の作, 磁器, 東京国立近代美術館蔵

深い深い、宝石のような透明感のあるコバルトブルー(ターコイズブルー?)の、壊れそうに薄い磁器の器。これが大アップになったポスターを、ここ数ヶ月間、都内の駅や電車の車内のあちこちで見かけました。この人の作品、どこかふわっとしている。不安定な感じ、あるいは、いまにも翼が生えて翔び立ってしまいそうな雰囲気。高台から口縁までの広がり方は、ふんわり開いた花のかたちにも見える。

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*ピンク線文鉢(Bowl decorated with pink lines), 1980年頃の作, 磁器, 個人蔵

ピンクの器も、ブルーのに負けず劣らず、一度見たら忘れられないルーシー・リーに独特の鮮やかにして妖しい色合い。かすかに発光しているかのような。

‘線文鉢’って、ルーシー作品に固有なのかそれとも陶芸に一般的なのか、門外漢の私にはわからないのだけど、思わず‘縄文鉢’って読み違えてしまう。ぜんぜん縄文じゃないですが。

細い金属の棒で器の生地を引っかき落とし、線を刻む技法が‘線文’とのこと。初期は引っかき落とした跡に素地の土の色が出てくるというだけだったけれど、ある時期からこの溝に色土を埋め込む象嵌技法を重ね合わせ、ルーシーの‘線文’はさらに複雑にして繊細な味わいを増していく。

なんだか、小さな器のなかに、これでもかこれでもかと手数を刻み込んでいる、そういう印象を受けるのです。全体の印象は軽いんだけど、同時にどこまでも深い。

ちなみに上の「ピンク線文鉢」、写真では見えにくいけれど、タテに無数に細かいラインが刻みつけられています。かすかにグリーンを帯びた、無数の、細い細い手書きの垂直ライン。

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*ピンク線文鉢(Bowl with pink stripes), 1970年代後半の作, 磁器, 東京国立近代美術館蔵

一見、とっても日本的な「湯呑み茶碗」にも似たかたちの器。大きさもちょうどそのくらいかな。でも、この色は、ないでしょう。上から、鈍い金属性の光沢を放つ、少しムラのあるブロンズ色、その下に、白地に水平方向のピンクの象嵌ライン(白地が滲んだようにピンク色に染まっている)、その下につやのあるターコイズブルー、そして最下部にふたたび渋い光沢のブロンズ色。なんだか、しみじみと、‘たからもの’感があるなぁー。でもこの感じ、もしかして女性専科かも?

(ミュージアムショップで、このボウルの表面に思い切り寄った図柄のマグネット、ゲットしました。 →ミュージアムグッズ獲得記へ

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*上: 線文円筒花器(青)(Cylindrical vase decorated with lines (bleu)), 1976年頃の作, 磁器, 個人蔵
*中右: スパイラル文花器(Vase with spiral), 1975年作, 陶器, 愛知県陶磁資料館蔵
*下左: 白釉花器(White glazed vase), 1980年代の作, 陶器, アサヒビール大山崎山荘美術館蔵
*下右: 線文花器(ピンク)(Vase decorated with lines (pink)), 1990年頃の作, 磁器, 個人蔵

さてさてここから、本命登場!?、です。

天に向かって開口部がラッパ状に大きく開く、ルーシー独特の形状の花器たち。

壷(あるいは筒)状の下部と、ラッパ状の上部は別々に成形され、ろくろの上で繋ぎ合わされる。

繋ぎ目の首の、まるで鶴の首のように、細長~いこと! 頭が大きすぎてバランスが危うい、というか、いまにも倒れそう、、、な印象を受ける。倒れないんだけど。

踊り出しそうな、歌っているような、今にも翔び立ちそうな気配を感じます。

もったいなくて(…)花を活けられない、って、私は思ってしまうけれど(‘開花’しているみたいな形状の上部が、すでに、活けられるべき花を代替している気がする。花器なのに花なくして完結している、というか。でももしかして‘作品’としての陶磁器って、そういうものだった??!)、う~ん、どんなに美しくても「使える」ものであってほしいなあ、、、あ、いや、花は活けられなくても、ただ飾っておく(という使い方をする)ことはできるか。。。

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*上:線文鉢(Bowl decorated with lines), 1970年頃の作, 磁器 ,東京国立近代美術館蔵
*下:溶岩釉大鉢(マーブル)(Large bowl with volcanic glaze (marbled)), 1979年頃の作, 陶器, 愛知県陶磁資料館蔵

最後に、インパクトの強い色や形でなくても思わず、ルーシー・リーらしい!、と溜め息をついてしまう器を2点。

上の器、地味な色合いなのにやっぱり微かに‘発光’している。

下の器、これもルーシーが得意とした、溶岩状にボツボツと泡を吹いたようなザラザラの肌合いの、大きな鉢。大きくてザラザラなのに、優雅。薄さのせいか、あるいは、踊るように波打つ楕円形の口縁のなせるわざか、マーブル状に混じり合う青味とピンク味の色帯の微細さゆえか。

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上は若き日のルーシー・リー、下は晩年のルーシー・リー。

20世紀初頭のウィーンにて、裕福なユダヤ人家系に生まれる。

展覧会場では、BBC制作によるルーシー晩年についてのドキュメンタリーが大スクリーン(壁だった?かな)に映し出されていました。御年80を数えるおばあちゃんのルーシー、とても美しくて、可愛い(!)のですよ。飾らない人柄がにじみ出てて。

インタビュアーはルーシーの器のコレクターという、まぁいわば彼女の作品の大ファンの男性だったんだけど、釜から作品を取り出すルーシーに彼が「どうですか?(予想通りですか?だったかなぁ…)」みたいなことを聞くと、「(釜から作品を出す瞬間は)いつも驚きです」みたいなことを何気に答えていて(…うろ覚えですみません…)、すごく率直。垂直な釜の縁におなかをのっけて、中の器を取り出そうと釜の中に頭をつっこむおばあちゃんルーシー、釜の中からインタビュアーに「足を押さえて」って声をかける。インタビュアー、あわてて足を押さえるんだけど、なんか可笑しかったなぁ。足押さえなかったらそのまま釜の中に落っこちちゃいそうで。

あんなふうに実直に、さりげなく、何かに夢中なうちにいつのまにか年をとる、って、いいなあー。

(あ、タイトルに「妖精のような‘魔女’の実験室を覗き込む」って、書きましたよね。そう、宮崎駿『魔女の宅急便』の冒頭の、魔女キキのお母さん魔女コキリが薬草から薬をつくっている花いっぱいの部屋、あれを思い浮かべたからです。そういえば、修業中のキキが出会った画家の卵の女の子、年長少女のウルスラがひとりで住む森の中の小屋にもちょっと、ルーシーの仕事場に近い空気が流れてたな…)

Photo

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ルーシー・リー展
会場 国立新美術館
会期 2010年4月28日(水)~6月21日(月)

 その後の巡回展:
  →益子陶芸美術館 (2010/08/07~09/26)
  →MOA美術館 (2010/10/09~12/01)
  →大阪市立東洋陶磁美術館 (2010/12/11~2011/02/13)
  →パラミタミュージアム (2011/02/26~04/17)
  →山口県立萩美術館・浦上記念館 (2011/04/29~06/27)

ルーシー・リー(wiki)  / ルーシー・リーの画像検索(google)
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2010.04.02

クリストとジャンヌ=クロード展 / 圧倒的なスケールの‘無意味’、あるいは男女ユニットと‘破天荒’の相関関係

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六本木ミッドタウンの21_21DESIGN SIGHTで開かれていたクリストとジャンヌ=クロード展も、そろそろ終わってしまう。

そういえば、春休み期間3月最終の土曜は六本木を舞台にオールナイトで「六本木アートナイト」が開催され、この展覧会場もそのハブのひとつだったはずだが、盛り上がったのだろうか。この「六本木アートナイト」といい、池袋近辺で去年開催されていた舞台芸術のお祭り「F/T(フェスティバル/トーキョー)」といい、さすが文学者の都知事、石原都政の文化政策はひとあじもふたあじも違うなあ・・・、と、‘慎太郎語アレルギー’の重症患者であるはずの私が、思ってしまう。石原文化事業は、三十年後、あるいは百年後に再評価されることとかを射程に入れて企画されているのかな。(話が脇に逸れました…)

さて、クリストとジャンヌ=クロード展である。彼らの数十年にわたるさまざまなプロジェクトが、写真で、ドローイングで紹介される。あらためて、そのスケールの大きさ、逸脱具合、非凡さ、(そして意外な「面白さ」!?)に、感嘆する。ベルリンの「ライヒスターク」(旧帝国議会議事堂)の巨大な梱包作品を見に集まった人々が、あたかも観光地で(たとえば「大仏」の前とかで)そう振舞うように、あっちでもこっちでも作品を背景に記念写真を撮っている風景が、ちょっと可笑しい。

不勉強にして、今回この展覧会で初めて、クリスト&ジャンヌ=クロードのプロジェクトが、公的私的を問わず、あらゆる機関からの資金援助に頼らず、自己資金(計画案のドローイングを作品として売ったその代金など!)のみで実現されているということを知った。すごいなあ。だから、誰の顔色を伺う必要もなく、こんなに破天荒なことができるのか。

クリストと(故)ジャンヌ=クロードはカップルの(=夫婦の、男女ペアの)アーティストだ。

連想するのが、同様にアーティストの荒川修作&マドリン・ギンズ。

クリスト夫妻は、パリのポンヌフやベルリンの旧帝国議会議事堂といった、歴史的なバックグラウンドを持つ巨大建造物を巨大な布で「梱包」するという、壮大にしてあまりに「無意味」(!?)な‘暴挙’で名を馳せ(その壮大さと無意味さがポジティブにして生き生きとした感動を引き起こす!!)、荒川ユニットは、水平や垂直や重力の作用への‘憎悪’(?)に基づいているかのような、迷路状の、謎かけのような建築物(テーマパーク「養老天命反転地」に集合住宅「三鷹天命反転住宅」)を実現して、常に、ある領域の人々の耳目と人気(老若男女の!?)を集めている。

男女の芸術家ユニットだからこそ、実現できるもの、とは。

そういえばつい先日、建築家の妹島和世と西沢立衛のユニットSANAAが、プリツカー賞を受賞した。建築家には男女ふたりで構成されるユニットが多い。建築が、感性と社会性の両方が要求される芸術分野だからなのかな。ひとりで立ち向かうには険しい崖、みたいなものの存在?

クリスト夫妻や荒川カップルの場合も、その作品は、(建築とは違って「アート」なのでどうしようもなく「無意味」!?で「役に立たない」!!!んだけど)、確かになんらかの社会性を帯びている。公共の場と境界の曖昧な場所で‘人’を巻き込み、いやおうなく‘驚かせる’という意味で。それを実現する過程には、おそらく周囲の人々や組織との間で無数の確執が生起しアーティストの神経を掻き回すに違いない。それに耐えプロジェクトを実現するために、男女カップルという最小ユニット、対幻想!?が、最強、あるいは最適なんだろうか。

…なんていうことに、ぐたぐたと思いをめぐらせた。

日経新聞の折込アート特集(2010年3月11日付)の常設コーナー「クロスボーダーレビュー」欄に、平野啓一郎が寄せていた展覧会評が面白かった。「梱包する」という行為が何を意味するか、についての考察が、さながら哲学でした。

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クリストとジャンヌ=クロード展
会場 21_21 DESIGN SIGHT(東京ミッドタウン内)
会期 2010年2月13日(土)~4月6日(火)
展覧会案内 / 会場サイト /

クリスト(Wikipedia) / クリストの画像検索(Google)
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