「言論の自由」と、国家や宗教のレベルでの「名誉毀損」と。
■2015年1月11日の日曜日に、パリで反テロリズムと言論の自由を訴える巨大デモが行われた。各国首脳がデモの戦列に加わる、って、歴史的にも今までない光景なのでは。デモは「民衆」のもの(「首脳」は糾弾される側)、みたいな、私のなかのステレオタイプに照らし合わせると、どこか奇妙な居心地の悪さを感じる。欧米vsイスラム、それはもう世界史レベルの地殻変動で、これが今まさに可視化されているんだな、みたいな気分。
■そして同時に、新聞社襲撃犯に射殺されたアルジェリア系イスラム教徒の警官や、あるいは、デモ隊のプラカードやテレビ画面のオバマ大統領の胸のバッヂにある「Je suis Charlie」の標語に思いを馳せる。
■Wikiをチェックすると、襲撃された週刊風刺紙「Charlie Hebdo(シャルリー・エブド)」はルーツを1960年創刊の月刊誌「Hara-kiri(アラキリ)」(腹切り!!)に持ち、発禁・復刊を経て1970年、「Charlie(シャルリー)」と名を改める。その紙名の由来はチャーリー・ブラウンにあった(イタリアの月刊バンド・デシネ誌「ライナス」の仏語版として再スタートした)、とのこと。ハラキリとチャーリー・ブラウン! なんだそれは。読んでみたい。シャルリー・エブドはどんな新聞で、その読者はどんな層なのだろう。
■(私の中で連想されるのは、今は亡き『噂の真相』とか、70〜80年代初頭を華やかに飾った懐かしき『ビックリハウス』とか、なんだけれど、これはわずかでも的をかすっているのか全然見当違いなのか?)
■ハフィントン・ポストが伝えている、テロの犠牲になったパリのアルジェリア系イスラム教徒の警察官の名はAhmed Merabet(アフメッド・メラベ)。自らの宗教を侮蔑した新聞社の権利を守る過程で殉職した、という現実の、含意の苦さ。「Je suis Ahmed(私はアフメッドだ)」と「Je suis Charlie(私はシャルリーだ)」の間の距離。
■NHKのニュースは、パリのデモに参加したムスリムの女性(スカーフを着用していた)にインタビューしていたが、パリに住む普通のムスリムたち(テロリストではない)はだいじょうぶだろうか。そういえば2001年のNY同時多発テロのとき、私自身は、あまりNYのムスリムに思いを馳せなかった。ムスリムはNYよりパリに親和性があるような、あまり根拠のない思い込みがあって、だからこそ一層、彼ら・彼女らの現況が気になる。
■仮に、シャルリーによるムハンマド風刺漫画と、ハリウッド(ソニーピクチャーズ!!)による北朝鮮金総書記風刺映画を並べて見てみる。言論の自由はもちろん一義的に重要なのだけれど、それを大前提とした上で、からかわれた側が取りうる「別の方法」について考えてみる。つまり、テロリズムによってでなく、順法的に、たとえば「名誉毀損」を訴えることによって、イスラム側(あるいは北朝鮮!)が相手(欧米)に対抗するという方法はなかったのだろうか。素朴な疑問なのです。イスラム教徒、北朝鮮政府、などの、国家以上のサイズの巨大で‘抽象的’な集団は、訴訟の当事者となるに向かないのだろうか。相手の土俵で裁かれることを忌避するという、「場」の問題なのだろうか。国際法廷にはそういう役割は割り当てられていなさそうな気がするし。これらは、法学や国際関係論をちゃんと学んだことのない私にとっては未知の、本当に素朴な問いです。
■(そして、「怒り」の制御、という大きな問題。)
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