アングロサクソン系古典喜劇に疲れる
■TSUTAYA DISCASで届いた希少物件のクラシックシリーズ、フランク・キャプラ『毒薬と老嬢』(1944)とロバート・ハマー『カインド・ハート』(1949)を観る。この2作はどちらもIMDb top 250の200位近辺に時々ランクインする常連で、その割にレンタルで入手しにくかったので今まで鑑賞できずにいたもの。という具合に期待が大きかったので、かすかな‘ハズレ感’が、ひどく痛い。フランク・キャプラのハロウィーン‘コメディ’『毒薬と老嬢』の方は、ある家系をことごとく襲う‘狂気’を、かつて人の首を狩っていたインディアンの血に求めてまったく疑わず、しかもそれをドタバタコメディに仕立て上げているところが空恐ろしい。というか、当時の感性はそういうものだったのか、ということに直面して唖然とする。(ちなみに同じF・キャプラのクリスマス人情劇としては『素晴らしき哉、人生!』(1946)がありますね。)それにしても、インディアンと虐殺の記憶と現在の狂気を繋ぐモチーフは、S・キューブリック『シャイニング』にも通じますね。真逆からの取り扱いだけど。そしてこのキャプラ作品の狂気を扱う手つきの‘無邪気さ’は、いったいなんなんだ。わたしにはついていけませんでした。疲労困憊。一方で、続けて観ることになった『カインド・ハート』も、ある意味でドタバタ喜劇。毒薬と老嬢が新大陸の無邪気さなら、カインドハートはグレートブリテンの老獪さというべきか。それにしてもアングロサクソン系の喜劇ってこんなに酷薄なのか。(といきなり大上段に構えてしまう…知ってやしないのに……しかも、ケンブリッジ卒とIMDbにあるロバート・ハマーはともかく、フランク・キャプラの方はイタリアはシチリアから新大陸への移民の子なんだから微塵もアングロサクソン系ではないのに無理筋でひとくくりにしてしまうなんて………)ま、とにかく、カインドハートでは、平民との駆け落ちで生まれた貴族の血を引く子が長じて、自らとその母を冷遇した一族への復讐を企て連続殺人を実行し公爵家の後継ぎへと成り上がり、土壇場で転落する。主人公に殺される貴族の一族を一人で演じ分けたアレック・ギネスの一人8役が、唯一の見どころのような気が。一人多役というと、またまたS・キューブリックの『博士の異常な愛情』のピーター・セラーズが思い起こされる。それにしても、毒薬老嬢カインドハートのどちらも「はぐらかし」の連続が妙味なのかもしれないけれど、私はあんまり好きになれなかった。エドガー・ライトの一連のコメディが苦手なのと近い感じ。私の「逆ツボ」(??)にハマった。あるいは私、もしかして、基本的に、喜劇への感受性に欠けている?………
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