妻と下女の弁証法、あるいは、懲りない男の願望ムービー(こわいけど)
■念願かなってやっと観られたキム・ギヨン『下女』(1960)@シネマヴェーラ(渋谷)。(以下、思い切りネタばれです。)オープニング映像で延々と映し出される姉弟の「あやとり」が、私の知っている日本のあやとりと完全一致形だということに驚きながらまずは見始める。結論を先に言うと、しかも、身も蓋もない言い方をするとすれば、これ「男の願望(or妄想)ムービー」ですね、と言い切ってしまいたい。この映画には最後の最後で「種明かし」的なラストが付け加えられるのですが、それを観てしまうと、「なあんだこれ‘男の願望ムービー’だったんだ!」というふうにしか見えなくなってくるわけです(少なくとも私はそうだった)。というふうに、最後にハシゴが外されてしまうのですが、そこに至る‘本編’では、男女の愛憎をめぐる楳図かずお調ホラーがこれでもかこれでもかと積み重なって家庭内パニック映画(表向きは「男の受難」映画)めいたものが繰り広げられます。(「楳図かずお」への言及がツイッター上で散見されて、なるほど言い得て妙!と感心し私も表現を拝借したのですが、これって今回のシネマヴェーラでのキム・ギヨン&キム・ギドク特集上映でゲストトークをされた四方田犬彦さんがおっしゃったとかそういうことなのかなあ、と当てずっぽうで推測してみたり。)(*ネット検索してみたら、3年前の上映時にすでに「楳図かずお」への言及は一般化しており、最初の発言者はどうも映画評論家の宇田川幸洋さんらしいことがわかった。←後日追記)で、‘蛇女’めいた執着を主人公の男へ向けるぬめっとした恐怖のストーカー下女も、夫に冨と地位を求め自らも内職して夫を助け夫の不始末は世間から隠蔽しようとし結果として妻の座から実質的に転落していく妻も、男の願望そのもの、だと思いました(あ、最後に「勝つ」?のは妻一人なんだったっけ?←男の妄想枠内にて。いやみんな揃って破滅するんだったっけ?←すみませんすでに意識混濁状態…)。他にも願望の愛人キャラが少なくとももうひとり、絡んできましたね。若く健全(?とは言えないか、、)で、主人公の男から習うピアノが不自然なくらい確実に上手くなる女工。子ども二人のポジショニングも興味深い。足の不自由な姉と、あっけなく下女に毒殺されてしまう弟。そうだ物語進行中に妻が産んだ赤ん坊を3人目、同時に下女が孕んで流した胎児を4人目に数えるべきか。この角度から見ると、ドストエフスキー的でもある、ような。ちなみに、主旋律である‘妻と下女の弁証法’からは、寺山修司の『奴婢訓』を連想しました。最後に付け加えると。舞台となる家、1960年当時の韓国ブルジョワ家庭の‘理想像’として設定されるモダーン建築の木造家屋も面白かった。恐怖の舞台となる階段、窓。特に、全面ガラスの窓に張り付いて土砂降りの雨の中室内をうかがう下女の姿がおそろしかった!
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