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2014.11.14

時の経過=生長し/老いる様を‘生け捕り’にし、まるごと肯定する『6才のボクが大人になるまで』

公開初日の映画の最初の回を見に外出するなんて、私にとっては前代未聞(!?)に近い入れ込み方。その作品の名は、リチャード・リンクレーター『6才のボクが大人になるまで』(2014)、行った劇場は新宿武蔵野館でした。

ある意味、重要な「ネタバレ」を浴びるように聞いた上で観に行ったことが多少災いした感もあるかなあ。もしこの映画の「撮られ方」について何の予備知識もなしに観ていたなら、きっと、生まれて初めてマジックショーを観た観客みたいに驚き、感動していたに違いない。何年か経た後の新しい観客の中にはこの映画とそういう出合い方をする人がいるんじゃないかな。ちょっとうらやましかったり。

同一の役者が生長する(or加齢する)過程に伴走し12年をかけてひとつの‘家族’を撮る(ドキュメンタリーではなくあくまでもドラマとして)という秀逸なアイデアは、結果的に同時進行することになる「ハリーポッターシリーズ」をヒントに生まれたに違いない、と、確信した。(…と言ってみたものの、実際は違うみたい。。リンクレーターにはすでにカップルについての『ビフォア』3部作があるから、その流れか。)まぁ、この映画中には、長大な列に並んで大大ヒット時代のハリポタを観に行く実録シーン(!?)も挿入されていたしね。私は自分自身の子育て歴がこの劇中家族とちょうど年齢・時代・家族構成的にゆるやかに重なるという、ある意味特殊な観客だったと思う。母親のポジションに自分を重ねてみたとき、離婚・再婚を重ねていないことと、仕事をちゃんと続けていないことがパトリシアアークエット母さんと決定的に異なりはするのだけれど。でも、個人的に、ひどく生生しい映画鑑賞体験だった。

リチャード・リンクレーターの「文化オタク」な体質(言い換えれば、反・体育会系の真性「ナード」気質)は、独特だなあと思う。そして、そこが好きでもあるのです。『ビフォア・サンライズ(恋人までの距離)』(1995)でジュリー・デルピーとイーサン・ホークが偶然出合ったヨーロッパ横断鉄道の車中でジュリー・デルピーが読んでいたのがジョルジュ・バタイユ(!)だったとか。『スクール・オブ・ロック』(2003)でジャック・ブラック演ずるニセモノ臨時教師が教室の子どもたちにロックの歴史を微に入り細に入り叩き込むところとか。そして今回の『6才のボクが大人になるまで』でも、離婚したお父さん(イーサン・ホーク!!)がミュージシャンを目指して挫折する役だったり、12年の成長の末とうとう大学に入学した主人公男子は写真家(カメラマンにあらず)を目指していたり。アート系の夢を追って破れる「ダメ男」へのまなざしが一貫してあたたかいですね。この、かなり偏向した強度の‘カルチャーオタク志向’で連想するのは、あのウディ・アレン。そして最近では新鋭グザヴィエ・ドランにも、その気(け)がけっこう強くあるかも。

この映画『6才のボクが大人になるまで』(あ、原題はBoyhoodですね。『少年時代』とすると、日本語では井上陽水の名曲に重なっちゃうか…)総括するとすると、今の時代にアメリカで生まれ、教育を受け、成長するということ、それをとりまく家族のありかたが、リアルに体感できる作品だと思います。経済的には中の上、しかも知的な層、というバイアスはかかっているけれど。(以下、ネタバレ多数含みます。)この12年間のアメリカ社会のいろいろな断面をさらっと、でも鮮やかに縮図的に切り取って見せてもくれます。オバマの最初の選挙でちょっとやり過ぎくらいの選挙運動に子ども2人まで巻き込んで熱心に参加する民主党支持者のイーサンホーク父さん、その彼の実家は、男の子が成長したらライフル銃を贈り狩りの手ほどきをするという穏やかな草の根保守層(たぶん共和党支持者)、同じイーサンホーク父さんが年を重ね新しい妻との間に生まれたベビーを抱いてその草の根保守の両親(主人公にとってはグランパ&グランマ)が住む田舎の家にしっくりとなじんでいる様。一方、シングルで子育てしながら大学に戻り後にはプロフェッサーの職を得るがんばり屋のパトリシアアークエット母さん、ステップアップファミリーでの新しい夫(子どもたちの新しい父親)の大学教授はアル中で、壮絶な家庭内パワハラを繰り広げたり。2度目の離婚を経て一時同居するパートナーは、イラクでの戦闘経験のある貧困家庭出身の元兵士だったり。こうやって思い出しながら書き起こしてみると、アメリカの一時代を間接的に俯瞰するという側面で、ロバート・ゼメキス『フォレスト・ガンプ』(1994)に近い映画でもあるのかなあ、などともぼんやり思う。そして、18歳になりこれから家を離れる主人公の少年の、高校卒業を祝うホームパーティー。そこには彼のこれまでの人生に関わってきたいろいろな人たちが集います。紆余曲折を経て「生きる」ということを、まるごと肯定しようとする、とてもあたたかい映画でした。

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