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2014年11月

2014.11.19

高倉健、昭和40年代という時代の沸点、その後の‘巨人’にして‘市井の人’

昨日11/18の昼頃、スマホの待ち受け画面に「高倉健死去」の速報が流れた瞬間からほとんどずっと高倉健のことを考えている、みたいな状態。ニュース速報からわずか3時間後ぐらいに放送されたTBSラジオ「たまむすび」での町田智浩による高倉健映画総括がすごかった。全体をバランスよく概観しつつ、偏愛的な勘どころを茶目っ気も込めて押さえている。日本国内だけじゃなくて、米・仏・中国の観客にとって高倉健はどういう存在だったか、具体的にどの作品の高倉健がどういうふうに受け止められたかについても鮮やかに語れるところが町田智浩一流の技ですね。これ、さすがに、3時間でまとめたわけじゃないよね、と思いたい。ちなみに町田智浩の‘高倉健愛’は、高倉健自身の企画によって実現したという降旗康男監督『ホタル』(2001)で最深部に到達したんじゃないんだろうか、というのが、僭越ながら「たまむすび」を拝聴して私が抱いた憶測でした。そして、町田智浩さんはすでに「淀川長治」の域に達している、とあらためて思う。

高倉健最後の映画となった『あなたへ』(2012)公開時に、高倉健に密着取材した特別番組、NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」で見たのが私にとってもっとも最近見た「高倉健」だったのですが、そうかーあれは2年前なのか、と嘆息する。80代にはとても見えない精悍さだった。50代に見えた。幸福の黄色いハンカチの時から全く変わっていない、と思えた。なのに、去年の文化勲章受賞時のニュース映像(今回初めて見ました)の高倉健は、80代の年相応に、枯れて見える。たった1年の差なのに。その間に病気が発症した? あるいは、特別番組「プロフェッショナル」の高倉健はメイクも施した役者・高倉健だったのに対して、文化勲章受賞式典に臨んだ際の高倉健はその場へ敬意を表するという意味で‘素’の人間・高倉健だった、とか、そういうことなんだろうか。

高倉健といえば、たぶん大方の皆さんと同じ考えだと思いますが、やっぱり、『昭和残侠伝』シリーズ(1965〜72、監督:佐伯清、マキノ雅弘、山下耕作)です(当時私は子どもだったので、リアルタイムでの昭和残侠伝体験はしていませんが)。池部良と並んで死地へ赴く着流しの色気です。唐獅子牡丹を背負った背中から漂う殺陣の殺気です。横尾忠則によるポスターです。こうして1960年代末という特異な時代の「沸点」を体現した先に、時代の終わりを象徴する山田洋次監督『幸福の黄色いハンカチ』(1977)を経て、その後も時代の重石のように静かに存在し続ける‘巨人’にして‘市井の人’という高倉健像が成立したんだろうと思います。

(唐突かもしれませんが、昭和を象徴する二人の巨人、「渥美清」と「高倉健」が不動の像を結ぶのを媒介した「山田洋次」について、今まで語られることが少なすぎたんじゃないだろうか?、と、ふと思う。ちなみに、私が初めて山田洋次監督の作品にはっと立ち止まったのは、『たそがれ清兵衛』(2002)を観た時でした(‘高倉健’テーマから完全に外れてますすみません)。真田広之も宮沢りえもドキッとするほどよかったし、あの映画で私は初めて、武士の日常生活のリアル、食事や身繕いや日日の仕事を目撃した、と思った。最近橋本忍『複眼の映像』を読んで知ったのですが、そのルーツは、『七人の侍』の直前に橋本忍と黒澤明が入念に準備しながらも実現できなかった『侍の一日』という幻の作品にあったのかもしれませんね。)

2014.11.14

時の経過=生長し/老いる様を‘生け捕り’にし、まるごと肯定する『6才のボクが大人になるまで』

公開初日の映画の最初の回を見に外出するなんて、私にとっては前代未聞(!?)に近い入れ込み方。その作品の名は、リチャード・リンクレーター『6才のボクが大人になるまで』(2014)、行った劇場は新宿武蔵野館でした。

ある意味、重要な「ネタバレ」を浴びるように聞いた上で観に行ったことが多少災いした感もあるかなあ。もしこの映画の「撮られ方」について何の予備知識もなしに観ていたなら、きっと、生まれて初めてマジックショーを観た観客みたいに驚き、感動していたに違いない。何年か経た後の新しい観客の中にはこの映画とそういう出合い方をする人がいるんじゃないかな。ちょっとうらやましかったり。

同一の役者が生長する(or加齢する)過程に伴走し12年をかけてひとつの‘家族’を撮る(ドキュメンタリーではなくあくまでもドラマとして)という秀逸なアイデアは、結果的に同時進行することになる「ハリーポッターシリーズ」をヒントに生まれたに違いない、と、確信した。(…と言ってみたものの、実際は違うみたい。。リンクレーターにはすでにカップルについての『ビフォア』3部作があるから、その流れか。)まぁ、この映画中には、長大な列に並んで大大ヒット時代のハリポタを観に行く実録シーン(!?)も挿入されていたしね。私は自分自身の子育て歴がこの劇中家族とちょうど年齢・時代・家族構成的にゆるやかに重なるという、ある意味特殊な観客だったと思う。母親のポジションに自分を重ねてみたとき、離婚・再婚を重ねていないことと、仕事をちゃんと続けていないことがパトリシアアークエット母さんと決定的に異なりはするのだけれど。でも、個人的に、ひどく生生しい映画鑑賞体験だった。

リチャード・リンクレーターの「文化オタク」な体質(言い換えれば、反・体育会系の真性「ナード」気質)は、独特だなあと思う。そして、そこが好きでもあるのです。『ビフォア・サンライズ(恋人までの距離)』(1995)でジュリー・デルピーとイーサン・ホークが偶然出合ったヨーロッパ横断鉄道の車中でジュリー・デルピーが読んでいたのがジョルジュ・バタイユ(!)だったとか。『スクール・オブ・ロック』(2003)でジャック・ブラック演ずるニセモノ臨時教師が教室の子どもたちにロックの歴史を微に入り細に入り叩き込むところとか。そして今回の『6才のボクが大人になるまで』でも、離婚したお父さん(イーサン・ホーク!!)がミュージシャンを目指して挫折する役だったり、12年の成長の末とうとう大学に入学した主人公男子は写真家(カメラマンにあらず)を目指していたり。アート系の夢を追って破れる「ダメ男」へのまなざしが一貫してあたたかいですね。この、かなり偏向した強度の‘カルチャーオタク志向’で連想するのは、あのウディ・アレン。そして最近では新鋭グザヴィエ・ドランにも、その気(け)がけっこう強くあるかも。

この映画『6才のボクが大人になるまで』(あ、原題はBoyhoodですね。『少年時代』とすると、日本語では井上陽水の名曲に重なっちゃうか…)総括するとすると、今の時代にアメリカで生まれ、教育を受け、成長するということ、それをとりまく家族のありかたが、リアルに体感できる作品だと思います。経済的には中の上、しかも知的な層、というバイアスはかかっているけれど。(以下、ネタバレ多数含みます。)この12年間のアメリカ社会のいろいろな断面をさらっと、でも鮮やかに縮図的に切り取って見せてもくれます。オバマの最初の選挙でちょっとやり過ぎくらいの選挙運動に子ども2人まで巻き込んで熱心に参加する民主党支持者のイーサンホーク父さん、その彼の実家は、男の子が成長したらライフル銃を贈り狩りの手ほどきをするという穏やかな草の根保守層(たぶん共和党支持者)、同じイーサンホーク父さんが年を重ね新しい妻との間に生まれたベビーを抱いてその草の根保守の両親(主人公にとってはグランパ&グランマ)が住む田舎の家にしっくりとなじんでいる様。一方、シングルで子育てしながら大学に戻り後にはプロフェッサーの職を得るがんばり屋のパトリシアアークエット母さん、ステップアップファミリーでの新しい夫(子どもたちの新しい父親)の大学教授はアル中で、壮絶な家庭内パワハラを繰り広げたり。2度目の離婚を経て一時同居するパートナーは、イラクでの戦闘経験のある貧困家庭出身の元兵士だったり。こうやって思い出しながら書き起こしてみると、アメリカの一時代を間接的に俯瞰するという側面で、ロバート・ゼメキス『フォレスト・ガンプ』(1994)に近い映画でもあるのかなあ、などともぼんやり思う。そして、18歳になりこれから家を離れる主人公の少年の、高校卒業を祝うホームパーティー。そこには彼のこれまでの人生に関わってきたいろいろな人たちが集います。紆余曲折を経て「生きる」ということを、まるごと肯定しようとする、とてもあたたかい映画でした。

妻と下女の弁証法、あるいは、懲りない男の願望ムービー(こわいけど)

念願かなってやっと観られたキム・ギヨン『下女』(1960)@シネマヴェーラ(渋谷)。(以下、思い切りネタばれです。)オープニング映像で延々と映し出される姉弟の「あやとり」が、私の知っている日本のあやとりと完全一致形だということに驚きながらまずは見始める。結論を先に言うと、しかも、身も蓋もない言い方をするとすれば、これ「男の願望(or妄想)ムービー」ですね、と言い切ってしまいたい。この映画には最後の最後で「種明かし」的なラストが付け加えられるのですが、それを観てしまうと、「なあんだこれ‘男の願望ムービー’だったんだ!」というふうにしか見えなくなってくるわけです(少なくとも私はそうだった)。というふうに、最後にハシゴが外されてしまうのですが、そこに至る‘本編’では、男女の愛憎をめぐる楳図かずお調ホラーがこれでもかこれでもかと積み重なって家庭内パニック映画(表向きは「男の受難」映画めいたものが繰り広げられます。(「楳図かずお」への言及がツイッター上で散見されて、なるほど言い得て妙!と感心し私も表現を拝借したのですが、これって今回のシネマヴェーラでのキム・ギヨン&キム・ギドク特集上映でゲストトークをされた四方田犬彦さんがおっしゃったとかそういうことなのかなあ、と当てずっぽうで推測してみたり。)(*ネット検索してみたら、3年前の上映時にすでに「楳図かずお」への言及は一般化しており、最初の発言者はどうも映画評論家の宇田川幸洋さんらしいことがわかった。←後日追記)で、‘蛇女’めいた執着を主人公の男へ向けるぬめっとした恐怖のストーカー下女も、夫に冨と地位を求め自らも内職して夫を助け夫の不始末は世間から隠蔽しようとし結果として妻の座から実質的に転落していく妻も、男の願望そのものだと思いました(あ、最後に「勝つ」?のは妻一人なんだったっけ?←男の妄想枠内にて。いやみんな揃って破滅するんだったっけ?←すみませんすでに意識混濁状態…)。他にも願望の愛人キャラが少なくとももうひとり、絡んできましたね。若く健全(?とは言えないか、、)で、主人公の男から習うピアノが不自然なくらい確実に上手くなる女工。子ども二人のポジショニングも興味深い。足の不自由な姉と、あっけなく下女に毒殺されてしまう弟。そうだ物語進行中に妻が産んだ赤ん坊を3人目、同時に下女が孕んで流した胎児を4人目に数えるべきか。この角度から見ると、ドストエフスキー的でもある、ような。ちなみに、主旋律である‘妻と下女の弁証法’からは、寺山修司の『奴婢訓』を連想しました。最後に付け加えると。舞台となる家、1960年当時の韓国ブルジョワ家庭の‘理想像’として設定されるモダーン建築の木造家屋も面白かった。恐怖の舞台となる階段、窓。特に、全面ガラスの窓に張り付いて土砂降りの雨の中室内をうかがう下女の姿がおそろしかった!

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