ゴーゴリ『鼻』に埋め込まれた19世紀ロンドンの猟奇譚スウィーニー・トッドのことなど
■高2息子から学校の課題図書ゴーゴリ『鼻』(光文社古典新訳文庫、浦雅春訳)を差し出され、「これってどう思う?」と聞かれたので、読んでみた(昨日の午後のことです)。落語のような文体の訳文、カフカ『変身』の先駆かよ、とも思える奇天烈な展開であちこち笑えるので笑いながら読んでいたら息子には「笑える話?」とまずそこで驚かれる。いつのまにか消失した主人公の小役人の鼻、床屋が食べるパイの中から出てきて川に捨てられたり、主人公より等級が上の役人になりすまして馬車に乗っていたり(人間の身の丈サイズの鼻??)という「自立心豊かな」鼻(!!?)も、すったもんだの騒動の末とはいえとりあえずいつのまにかまた、主人公の顔の真ん中にもどってきて事なきを得た(????)ようなので、息子には「夢の話じゃない?夢オチ」「この主人公の小役人にとって、なくなってまた戻ってきた‘鼻’とはいったい何だったのか、みたいなことを考察してレポートにまとめればいいんじゃない?」などとアドバイスしておいた。(息子の返事は、「そんな問題は出ない」というそっけないものだったんだけどね。)
■…で、そのあと一晩寝て起きたらふと、あのゴーゴリ『鼻』の導入部は、まんま『スウィーニー・トッド』じゃないか、と思い当たる(ミュージカルや映画にアレンジされた方ではなく、その元になった19世紀のロンドンで流行したという都市伝説の方)。そっか、ゴーゴリは、ロンドンの連続殺人鬼の床屋がその愛人のパン屋のおかみと共謀して、殺した相手をバラバラにしてパイに焼き込んで売り捌いたという当時よく知られていたらしい猟奇譚(もとになる史実が存在したかどうかは不明)をヒントに、というか導入にして、小役人の生態と心理を短編風刺小説に仕立てた、と、そういうことね、と思ったのでした。
■(これって実は‘常識’の範囲内なのかも、と思ってネットを探し回ってみたんだけれど、いまのところネットの中では、日本語でも英語でも、ゴーゴリ『鼻』とスウィーニー・トッドを関連づける記述には出合えてない。ん?、という感じではあるのですが。。。)
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