インド映画の陽気さと筋の込み入り方について / 神は限りなく残酷
■新宿シネマカリテにインド映画『バルフィ!人生に唄えば』(2012)を観に行った。『きっと、うまくいく』(2009)と、系統としては連なるのかな。陽性でエンタメで無駄に?といいたくなるほど筋が込み入っていて長大で盛り沢山な映画。映像が美しかった。音楽が古典映画風。そもそも、名作喜劇サイレント映画多々への強いオマージュが、「周囲を笑わせるのが大好きな聾唖者」という主人公の造形に結晶している、と思った。わたし的には、そういうディテールを解読する意味で面白い映画、という感じかなあ。いかにも映画好きの監督が過去の映画を参照した上でディテールにこだわりながら映画を撮っているという意味で、W・アンダーソン映画に近い面もあるように感じた(が、私は、なぜかこの映画をW・アンダーソン映画みたいには楽しんで観られない)。あとひとつ、こんなことで申し訳ないんだけれど、主人公の男のルックスが好きになれなくて、それが災いしてマイナス点を付けてしまう面もありました。(彼をめぐる二人の女性を演じる二人の女優は美しくて、加点倍返し(?)ものです。)(だいぶ昔ですが、私には過去にやはり、主人公の男のルックスがどうしても好きになれなくて…というなんだか非常にくだらない?理由で忌避してしまった映画があります。それは、フランソワ・トリュフォー『突然炎のごとく』(1961)。あのジュールとジム……。でもトリュフォーを近日まとめて再鑑賞したい気持ちが高まっているので、するとまた別の見方ができるか。。。)『バルフィ!』に話を戻すと。聾唖者の男性と自閉症の女性のカップルを中心に据えているところから、ちょうど公開されてから日が浅い『チョコレートドーナツ』(2012)(ダウン症)や『シンプル・シモン』(2010)(アスペルガー症候群)を連想しました。この2作は未見なので、観てみなくてはとも思う。
■ここ数日の間にレンタルDVD、VHSの類いで観たのはルイ・マル『地下鉄のザジ』(1960)、ジャック=イヴ・クストー+ルイ・マル『沈黙の世界』(1956)、エドワード・ヤン『嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』(1991)(クーリンチェは前半を観たところ)。どれも書きたいことがいっぱい。
■すでに数日前となるが、土曜日、お昼前に御嶽山が噴火した。紅葉シーズンの快晴のウィークエンドの、朝から山頂を目指しただろう人たちが火口近辺にようやく到着する時間帯、そういうタイミングでの突然の噴火。時間が経つにつれ、大惨事の様相が濃くなっている。この世に神はいないんだな、というか、神は限りなく残酷なんだな、と思う(萩尾望都のマンガに『残酷な神が支配する』ってのありました)。この穏やかな気持ちいい季節に、観光地でもある神聖な山に登るグループ、カップル、単独クライマー、そういう健康的で前向きで努力家な、「善良な」人たちを狙い撃ちしたかのような大きな災厄。
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