寅さんの奥行きの深さについて
■夜、偶然チャンネルが合った『男はつらいよ』を最後まで観る。TVKで毎週土曜日、順を追って全作品上映をやっているらしい『男はつらいよ』をこの枠で偶然観たのはじつは今日で2度目。こないだは桃井かおり、布施明がゲストの回だった(『男はつらいよ 飛んでる寅次郎』(1979、第23作))。今回は後藤久美子、夏木マリ、吉岡秀隆、寺尾聡、宮崎美子がゲストの回(『男はつらいよ 寅次郎の休日』(1990、第43作))。吉岡秀隆がある時期以降、男はつらいよのレギュラー格だったことを初めて知る。さくら(倍賞千恵子)の息子役として。ゴクミはその恋人役でこれも準レギュラー。この回は夏木マリがゴクミのお母さん役で、寅さんのマドンナでもあり、ダブルマドンナ。いや、これが面白かったのです。お正月映画・お盆映画としての男はつらいよを当時、劇場で観た経験が皆無なのですが。というか、観ようと思って男をつらいよを観たことが今まで一度もなかったのですが(寅次郎初心者でほんとうにすみません)。でも、面白かった。
■なんでこんなに感心しているのかというと(桃井かおりの回は実はそうでもなかった)、ゴクミ・夏木マリ母娘がダブルマドンナの第43作(1990年)では、家族を捨てて愛人(宮崎美子)へと走る男(寺尾聡)が否定されずに(どちらかというと肯定されて)、しかも捨てられた妻(夏木)と娘(ゴクミ)の側もまた、不幸かもしれないけれど暗鬱に不幸な境遇として描かれるわけではなくそこから先の人生へと希望をつないで終わる、つまり、こんな「修羅場(!?)」さえもが八方丸く納められてしまうという寅さんワールドの離れ業が展開されるわけです。男はつらいよというのは、世間一般の道徳とか常識を映す鏡だという先入観を持っていた私としては、1990年当時の道徳・常識がこういうものだとは思っていなかったので驚いた、というのが本当のところです。でもよく考えてみると、80年代の前半にはすでに‘不倫’テーマのTVドラマ「金妻」シリーズがあれだけの人気を誇っていたのだから(金妻で不倫が成就することはけっしてなかったと記憶しているのですが)、1990年時点での寅さんの「不倫を否定しない」展開は、団塊世代の人生行路に沿って十分に造成された‘下地’の上に成立していた、ということなのかも。(あと、この場合、「妻」夏木マリが‘愛人タイプ’で「愛人」宮崎美子の方が‘妻タイプ’だという意図的な「配役の妙」が効いて、観客はそれほど「常識」を脅かされなかったのかも。)
■それにしても、この歳になって気がついた『男はつらいよ』の面白さというのを、どう説明したらいいんだろう。回によっても違うのかな。まぁ、‘世間一般の道徳や常識’に対峙するときの自分の気持ちが変わったのかもしれないし(…歳のおかげで?…)、もしかしたらそれは、寅さん=渥美清のキャラクターの秀逸さ・意外な?奥行きの深さ、山田洋次監督の仕掛けるコメディの懐の深さを感知できる適齢期みたいなものに自分が達したということなのかもしれないし。いや、適齢期が遅すぎる?と言われても反論できない感も多少。
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