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2014年8月

2014.08.20

T・アンゲロプロス『エレニの帰郷』における動態の美学 / M・ベロッキオ『眠れる美女』に見え隠れする狂気

テオ・アンゲロプロス『エレニの帰郷』(2008)を観た。東欧の激動の20世紀史を、一人の女性と彼女をめぐる二人の男性の流転の人生を通して俯瞰的and微視的and情緒的に描く。あああこう書いてみると本当にアンゲロプロスだなあ。…と言いながら、アンゲロプロスを観たのは実は70年代末の学生時代、岩波ホールでの『旅芸人の記録』のとき以来じゃないか!ということにふと気が付く。

一昨日あたりから思い出したように、家に溜まっていたレンタルDVDの類いを固めて鑑賞している。『エレニの帰郷』は2回観た。2回目の際
覚え書きのための場面写真をけっこうたくさん撮る。美しいシーンが多すぎて画面写真を撮りたいという欲望が抑えられなくなった。でも撮ってみて分かったのは、どのショットも、スチールではけっして定着できない、シークエンスでこそ意味を持つ映像だけから成り立っているということ。映画なんだから当たり前、と言われてしまえばそれまでですが……。

他に観た作品:スペインの長編アニメーション作品『しわ』(原作パコ・ロカ、監督イグナシオ・フェラーレス、2011)、ジョシュア・マイケル・スターン『スティーブ・ジョブズ』(2013)『しわ』よかった。認知症が進行していく年老いた元銀行員の男性の一人称の視点から、老人福祉施設内の老人たちの人間模様を淡々と描き出す。個性的なキャラの老人も登場して話を引っ張り、ストーリーは意外に起伏に富んでいて飽きさせない。おかしゅうてやがて哀しく、静かに深い。付録映像のインタビューで監督は、日本のアニメに多くを学んだと語っていた。『ジョブズ』では、主演のアシュトン・カッチャー初鑑賞。

もうひとつ、マルコ・ベロッキオ『眠れる美女』(2012)も観た。ベロッキオの映画には必ず独特な、狂人すれすれの偏執狂的キャラが登場するなぁと思う。この作品の場合は、片隅を横切っただけに近い脇役だったが。『眠れる美女』、この情緒的なタイトルを裏切るかのように、「安楽死」という‘社会問題’をめぐる3つの物語のオムニバスから成っている。かつて愛する妻を安楽死させたことのある国会議員とその娘、植物状態の娘の看病をするために自らのキャリアを捨てた大女優とその息子、など。苦悩が交錯する様を重厚で美しい映像で描く。……しかし、ここのところ何作か見たベロッキオ(『ポケットの中の握り拳』『肉体の悪魔』『愛の勝利を』『眠れる美女』)のうち私がいちばん好きなのは『肉体の悪魔』かな。もっとも美しく、もっとも‘狂気’(ボーダーライン上の)が際立っていた。

2014.08.16

寅さんの奥行きの深さについて

夜、偶然チャンネルが合った『男はつらいよ』を最後まで観る。TVKで毎週土曜日、順を追って全作品上映をやっているらしい『男はつらいよ』をこの枠で偶然観たのはじつは今日で2度目。こないだは桃井かおり、布施明がゲストの回だった(『男はつらいよ 飛んでる寅次郎』(1979、第23作))。今回は後藤久美子、夏木マリ、吉岡秀隆、寺尾聡、宮崎美子がゲストの回(『男はつらいよ 寅次郎の休日』(1990、第43作)。吉岡秀隆がある時期以降、男はつらいよのレギュラー格だったことを初めて知る。さくら(倍賞千恵子)の息子役として。ゴクミはその恋人役でこれも準レギュラー。この回は夏木マリがゴクミのお母さん役で、寅さんのマドンナでもあり、ダブルマドンナ。いや、これが面白かったのです。お正月映画・お盆映画としての男はつらいよを当時、劇場で観た経験が皆無なのですが。というか、観ようと思って男をつらいよを観たことが今まで一度もなかったのですが(寅次郎初心者でほんとうにすみません)。でも、面白かった。

なんでこんなに感心しているのかというと(桃井かおりの回は実はそうでもなかった)、ゴクミ・夏木マリ母娘がダブルマドンナの第43作(1990年)では、家族を捨てて愛人(宮崎美子)へと走る男(寺尾聡)が否定されずに(どちらかというと肯定されて)、しかも捨てられた妻(夏木)と娘(ゴクミ)の側もまた、不幸かもしれないけれど暗鬱に不幸な境遇として描かれるわけではなくそこから先の人生へと希望をつないで終わる、つまり、こんな「修羅場(!?)」さえもが八方丸く納められてしまうという寅さんワールドの離れ業が展開されるわけです。男はつらいよというのは、世間一般の道徳とか常識を映す鏡だという先入観を持っていた私としては、1990年当時の道徳・常識がこういうものだとは思っていなかったので驚いた、というのが本当のところです。でもよく考えてみると、80年代の前半にはすでに‘不倫’テーマのTVドラマ「金妻」シリーズがあれだけの人気を誇っていたのだから(金妻で不倫が成就することはけっしてなかったと記憶しているのですが)、1990年時点での寅さんの「不倫を否定しない」展開は、団塊世代の人生行路に沿って十分に造成された‘下地の上に成立していた、ということなのかも。(あと、この場合、「妻」夏木マリが‘愛人タイプで「愛人」宮崎美子の方が‘妻タイプだという意図的な「配役の妙」が効いて、観客はそれほど「常識」を脅かされなかったのかも。)

それにしても、この歳になって気がついた『男はつらいよ』の面白さというのを、どう説明したらいいんだろう。回によっても違うのかな。まぁ、‘世間一般の道徳や常識’に対峙するときの自分の気持ちが変わったのかもしれないし(…歳のおかげで?…)、もしかしたらそれは、寅さん=渥美清のキャラクターの秀逸さ・意外な奥行きの深さ
山田洋次監督の仕掛けるコメディの懐の深さを感知できる適齢期みたいなものに自分が達したということなのかもしれないし。いや、適齢期が遅すぎる?と言われても反論できない感も多少。

2014.08.15

ヨコトリ@横浜美術館はとりとめなくも見えた

横浜トリエンナーレの横浜美術館会場に行く(今回は横浜美術館のみ)。タイトルは「華氏451度の芸術:世界の中心には忘却の海がある」となっていて、ということは「焚書」「忘却」を謳っているわけだが、その奥に「反戦」への連想、意志が作動し、そこがテーマだったと言っていいのだろうか。しかし、もうひとつぴんとこない一群の作品があって、なんだか全体が散漫だったように感じられてしまった。(「ぴんとこない」については、2年前の夏の大阪の国立国際美術館での若手グループ展で感じたのとほとんど同じ。アート作品以前の、がらくた!?にしか感じられない作品群。しかし、デュシャンもウォホールもかつてその時代の既成の美意識にとって「がらくた」であることによって時代を切り拓くアートとなりえたわけで、ということは、今、私の感度が時代についていってないということ???、と、勝手ながらちょっと煙に巻かれたような‘不快な’?気分も味わった。)

それらのなかで私が面白いと思ったものを、覚え書き風にピックアップします。☆☆大谷芳久コレクション。戦時中の出版物(主に現代詩)。どの作家のものも戦争賛美。瀧口修造も!☆☆エドワード&ナンシー・キーンホルツ。古チェストの上に置かれた旧式テレビ受像機に大映しになっているのは糞をひねり出す尻の立体オブジェ。とか。旧式テレビ受像機をベースモチーフにした奇妙な立体作品いくつか。☆☆アリーナ・シャポツニコフ。今回いちばん好きだった作品:噛んだチューインガムが石の塀かなにかにへばりついているところを撮っただけのモノクロ写真のシリーズ。それらガムの残骸が、それぞれ未知の宇宙人のような、奇怪でユーモラスな「生き物」に見える。同時に、極小サイズとはいえ抽象的な形態の立体オブジェにも見えるわけで、その多義性(!)と、裏で舌を出して笑いたくなるような‘軽さ’の合わせ技が秀逸。同じ作家で、変形した人体の‘部分’を離人症的なオブジェに仕立てているシリーズもあって、それらにも惹かれました。

2014.08.07

男子高校生向け「戦争アクション傑作選」再開---今回はキューブリック特集

西荻TSUTAYAまでチャリで走り、久々に「夏休み名画座企画for男子高校生 戦争アクション傑作編」再開のためにDVDを3本借り出してきた。今回はキューブリック特集。古い順に『突撃』(1957)、『博士の異常な愛情』(1964)、『フルメタル・ジャケット』(1987)。で、まずは『フルメタル・ジャケット』を観る。いまでは前半の海兵隊訓練シーンがネット上でミリオタ系?定番の話題となっているらしく、いつものように器用にネットを検索しながらDVDを鑑賞する高2息子から、逆に各種トリビアを教えてもらうことに。‘人気’の「ハートフル軍曹」は本物の海兵隊訓練軍曹で、当初は演技指導のために参加したのだが、あまりの迫力なのでそのまま出演することになった、とか。勢いで続けて‘上映’した『博士の異常な愛情』の方は、途中まで観たところで息子には「疲れた」と退席されてしまった。残念。しかし『博士の異常な愛情』は傑作だなあ。ピーター・セラーズの三役演じ分け、ものすごいし。キューブリックが天才だということを再認識。

2014.08.04

ワン・ビンのドキュメンタリーは長過ぎる(←いつかの前言と矛盾するかもしれない)

午後、渋谷へ。イメージフォーラムにてワン・ビン『収容病棟』(2013)を鑑賞。予想できたはずだが、おそろしく汚さと貧しさに溢れた映画だった。映っていたのは人間というより動物といったほうが近い感じ(そんなことを言ってはいけない??)。一方で「狂気」はあまり前景化していなかった。フレデリック・ワイズマン『チチカット・フォーリーズ』(1967)想田和弘『精神』(2008)と並べてみると、そこがかなり違う。『収容病棟』ではその題名通り、「狂気」よりむしろ精神病院という名の社会的「牢獄」が前面に。それにしても、ペドロ・コスタが極限の貧しさを映すときそれはなぜか「美しく」見えるのに、ワン・ビンが極限の貧しさを映すとそれは実物以上に「汚く」見えるような気がする。偏見か。いや、実物どおりにプラマイゼロで「汚い」んだろう。同じワン・ビンによるドキュメンタリー、被写体の‘貧しさ’の度合いは似たようなものでも、こないだ観た『三姉妹 雲南の子』の方はすごく好きだったんだけどなぁぁ。

2014.08.02

イランとメキシコの新旧名監督の作品をつづけて鑑賞

今日の夕方TSUTAYA DISCASから届いたDVDを2本、立て続けに観た。アッバス・キアロスタミが日本人の俳優を起用して日本で撮った『ライク・サムワン・イン・ラブ』(2012)と、メキシコの俊英マイケル・フランコによる『父の秘密』(2012)。キアロスタミの方はあまり好きになれなかった(老教授と若い娼婦の女の子、その元恋人である若い男の間の三角関係が描かれるのだが、各登場人物のキャラクター設定----国籍、職業を含むバックグラウンド---が不自然に捩じれている感があった。それが意図された齟齬であるようにも感じられなかった。たとえば教授の家の構造・立地・出される料理・インテリアなど、とても洗練されていて魅力的なんだけれど、本来はフランス人?のためのシチュエーションを無理矢理日本人が演じているように見えた。リアリティが感じられず、日本人観客として奇妙な居心地の悪さを感じた)(もしかして監督は主人公の老教授に自分を投影している?なんてふうに---勘違いであっても---思い始めてしまうと、まったくいい気持ちがしなかったし)(ヒロインの粗暴な元恋人、加瀬亮の演技力でもっているような印象も抱いた。ストーカー系の役柄そのものには残念感があったけれど)(対話する2人の人間のキアロスタミ流の撮り方の独特な宙吊り感は面白いなあ)(ストーリーの展開やラストの着地のし方は‘見事で、‘手だれ’を感じた)。父の秘密はよかった(重過ぎ・後味悪すぎではあった)。

やっぱりキアロスタミは初期のジグザグ道三部作がいいなあ。特に『友だちのうちはどこ?』(1987)が大大大好き。イラン土着の生活の場の空気感、不安と紆余曲折の末に辿り着くやさしさと安心感に満ちた場所、屈折しながらも素直な子どもたちの素顔!!

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