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2014年7月

2014.07.31

すり替え・詐欺・‘美談’にいらだつ

また1ヶ月が終わる。夏はまだまだこれからだが。

夜、高2息子のリクエストに従って、男子高校生向け「戦争アクション傑作選」第三弾(←事実上)となる百田尚樹×山崎貴『永遠の0』(2013)鑑賞会となりました。あああこういうの、いやだなあ。前半、岡田准一演ずる主人公の天才肌飛行機乗り(特攻隊員)にしきりに「死にたくない」「命は大切」とか言わせるのは、結局最後にそれを欺いて見事に命を捨てさせるための悪質な‘詐欺’だし、なんだか奇妙なすり替えで、残された妻子はといえば彼の‘栄誉の戦死’(←レトリックとして決してそうは表現しないが結局そういうこと)を生涯胸に、彼の‘生まれ変わり’としての同僚隊員とともに穏やかな後半生を送ることになるし、この巧妙な戦争美化のやり口、なんだかんだで万事を丸く納め美しい物語に回収する厚顔無恥が耐えられんーーーーー! なみに、戦争アクション映画としての出来、という意味では、私はアクション映画のよい観客ではないので(アクションをアクションとして楽しむ資質を持ち合わせていない。すみません)、評価は差し控えます。

Uボート、プライベートライアン、父親たちの星条旗+硫黄島からの手紙、という最強最良にして最醜の第二次世界大戦映画ラインナップに続いてこれを男子高校生に見せたことは正しかった、と自画自賛。戦争映画は醜くあるべき、という意味で、‘最醜’は褒め言葉です。

2014.07.30

夏目漱石「こころ」を、100年前の新聞小説として読むことのドキドキ感。

暑さがぶり返している。

吉祥寺図書館から延長借り出ししている「新潮」2014年1月号掲載されている文芸作品群が予想外に面白くて、読み終えるまでは惜しい気がしてきてしまいまだ返却できないでいる。今日は、無頼にしてスノッブで文化人なボケ老人の独白による短編 筒井康隆「ペニスに命中」がとにかく可笑し過ぎて、ゲラゲラ笑いながら読んでいたら読んでいる間だけはあらゆる煩悩から解き放たれ爽快だった。

そういえば朝日新聞(読んでるのは電子版)で今、連載している夏目漱石「こころ」、大正三年の新聞連載当時そのままの形態で復刻・再連載しているものが、とてもとても面白い。新聞小説としての「こころ」を再現するという秀逸企画!

1979年=蟹江敬三35歳の達成。---『十九歳の地図』と『天使のはらわた 赤い教室』

蟹江敬三が見たくてTSUTAYA DISCASにリクエストしていた旧作DVD2本が、昨日届いた。昨日、そして今日と続けて観る。根岸吉太郎(×立松和平)『遠雷』(1981)柳町光男(×中上健次)『十九歳の地図』(1979)。『遠雷』は、目当ての蟹江敬三さんの出番が少なくてちょっとがっかり。20年後の‘祭りの準備’、みたいなATG映画。80年代初頭の‘片田舎’の空気が暑苦しい。『十九歳の地図』の方にはひじょうに満足。こっちも暑苦しい‘70年代(自主)映画’なんだけどね。同じ1979年の作品、曽根中生による日活ロマンポルノ『天使のはらわた 赤い教室』と並んで、最高の蟹江敬三映画に違いない。1979年=蟹江35歳の達成。

2014.07.28

引き続き、ジャ・ジャンクー / 男子高校生向け「戦争アクション傑作選」

DISCASから届いていたジャ・ジャンクーのDVD2作より、『世界』(2004)の続きを観る。現代中国の大都会に溢れる「ニセモノ」を‘牢獄’と捉え結局そこから脱出できない男女の絶望を描いた作品だった。今回観たもう一本の『青の稲妻』(2002)は、処女作『一瞬の夢』(1997)にどこか似て、「田舎」に取材し男ふたりの友人関係を媒介に、時代の変化と、それに流される側・取り残される側を対比させながら取り残される方の砂を噛むような実感をドキュメンタリータッチで描いた作品だったから、『世界』の方はよりドラマ色が強まっているという感。最新作『罪の手ざわり』(2013)までを含めて作品群を概観してみるというのもあるけれど、それはまた後日。

「夏休み名画座企画for男子高校生・戦争アクション傑作編①」より2作目、スティーブン・スピルバーグ『プライベート・ライアン』(1998)高2息子と一緒に観る。それにしても前日のUボートとこの日のプライベート・ライアンは、どちらも皮肉で絶望的なラストが共通している(正確には、プライベート・ライアンの方はスピルバーグ一流のヒューマニズム仕立てによって最終的には「絶望」が相殺されるが)。

西荻TSUTAYAにチャリで走って「夏休み名画座企画for男子高校生・戦争アクション傑作選②」のためにクリント・イーストウッド『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』(ともに2006)を借りてくる。夕食後、まずは『硫黄島からの手紙』。

2014.07.26

男子高校生のための「夏休み名画座企画」(ただし家庭内)をスタートする

午前中、ジャ・ジャンクー2本目『世界』(2004)を半分だけ観る。舞台は、北京郊外にあるという、‘世界’の観光名所や名建築を縮小コピーで再現したアミューズメント施設「世界」。(東武ワールドスクエアそっくりだけど、ネットでみる限り関連はなさそうここで働くダンサーの女性と保安員の男性のカップルを中心に物語が展開する。「ニセモノ」で埋め尽くされた場所としての中国の大都会・北京。舞台となるテーマパーク「世界」はあからさまに‘世界’を偽装したものだし、保安員男性の浮気相手は、外国のファッション誌をもとに世界中のブランド服を自在にコピー(偽装)しては売り捌いている。「世界」を出て‘世界’と対峙したいダンサー女性の願望は、果たして叶えられるのか。

ふと、夏休みに入った高2息子のために「夏休み名画座」を家庭内に開館することを思いつく。参考に、あらためて今日現在のIMDbトップ250をチェックし、第一弾として息子の食いつきがよさそうな「戦争アクション傑作編」を設定。さっそく西荻TSUTAYAで『Uボート』(1981)『プライベート・ライアン』(1998)を調達してきた。まずは夕方〜食後、2回に分けて一緒に『Uボート』を鑑賞。しかしこれ、延々と潜水艦内の閉鎖空間での人間模様描写が続くあたり、普通の男子高校生には‘眠すぎる’作品だったかな……

2014.07.25

ジャ・ジャンクーと「挫折の映画」あるいは「映画の挫折」

最近少しだけ寝付きが悪い。私にしては非常に珍しく。で、昨晩は枕元に三冊の文庫本……若桑みどり『イメージの歴史』、ハンナ・アーレント『人間の条件』、金井美恵子『愛の生活』……を持ち込んで交互につまみ読みしながら眠くなるのを待った。刺激的な三冊。そしてすぐに眠れた……><

TSUTAYA DISCAS今月の第6便ではジャ・ジャンクーの旧作2点が届いている。『青の稲妻』(2002)『世界』(2004)ジャ・ジャンクー作品、この旧作2作を見れば、少なくとも日本国内でみることの出来る彼の作品は、公開中の最新作を含めて全作踏破したことになる。何の作家であれ踏破した経験というのがほぼゼロの私としては、とても稀なケースです(……)(作品数がまだ少ないおかげかな)。ということで、まずは『青の稲妻』を鑑賞。ドキュメンタリーのようなドラマあるいはドラマのようなドキュメンタリー、みたいな独特の肌触りふたりの青年それぞれの恋愛、挫折、焦燥、不全感60年代の仏ヌーヴェルヴァーグ/米ニューシネマ、70年代の日本ATG映画、90年代の中国ジャ・ジャンクーが呼応しているような気がしてきた。「挫折の映画」(その裏に「映画の挫折」)と括ると、安易すぎる?

2014.07.24

マルコ・ベロッキオのムッソリーニに翻弄される

マルコ・ベロッキオ『愛の勝利を 〜ムッソリーニを愛した女』(2011)をレンタルDVDで観る。観始めの頃は、そのテンションの高さとドラマチックさ加減が自分的にはもうひとつしっくりこない?みたいな気分で観ていたが、最終的にはいい意味での満腹感を味わえたかな、の感。稠密で美しい映像、女の狂気若尾文子@増村保造を連想させる)、映画内映画の多用(映画内映画のある映画についてのリストをつくってみようかというアイデア芽生えた)、ニュース映画内の実像ムッソリーニとその外側の映画内仮構ムッソリーニとの接続のさせ方、ムッソリーニとその息子を同じ俳優に演じさせることによる物語の増幅の仕方(セルジオ・レオーネ『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』で同様な配役があったな…)、いちばん印象深かったのは、精神病院の柵をどこまでもよじのぼって行くヒロイン(イーダ・ダルセル)を背後から映す、引きのカットだった。空からは、上空の一点から一面に雪が舞い降りてくる。吸い込まれるような美しさ。あと、冒頭あたりの若きムッソリーニとイーダのベッドシーン。白目を剥きながら性交するムッソリーニ、その白目が闇の中でそこだけ光る不気味さ。後にファシズムへと向かう彼の内なる‘狂気’がすでにそこで小さく発光していたかのようだった。

2014.07.22

日本の70年代は神代辰巳、と言い切っていい気がしてきた

TSUTAYA DISCASのDVDにて神代辰巳『恋人たちは濡れた』(1973)観た。日活ロマンポルノに仮託して、ヌーヴェルヴァーグやアメリカンニューシネマへの限りない映画愛をつづった‘引用の織り物’。こんなに引用で遊びまくっても、ちゃんと1本の映画として成立していることに感心。走る、逃げる、走る二人を正面から、真後ろから延々と捉え続けるショット(『勝手にしやがれ』)、ラスト近く、自転車に二人乗りしてぐるぐると同じところを回る男と女(『明日に向って撃て!』)、などなどなどなど。着物姿で男を追って全力疾走する絵沢萌子の、あられもないのにアスリートな姿が好きだなあ。アイデンティティの不確かさ、血縁地縁からの逃走、挫折、敗北、不毛。70年代前半の空気が切々と画面から流れ出します。誰もいないポルノ映画館の舞台で三波春夫を演じる主人公の若い男、走り続ける古自転車(主人公の男)と新しい車(もう一人の若い男)、風景のなかでのセックス(夜の廃船の船室、一面背の高い枯れ草の野原、森、砂浜、砂丘)、延々と続く男二人女一人の奇妙な馬跳び、任侠映画の口上を述べたてる若い女。演劇的でありながら映画的。このあいだ観た『青春の蹉跌』(1974)と2本を挙げただけでもう、日本の70年代は神代辰巳、と断言できるような気がしてきた。

2014.07.16

D・シュミットの光と影、S・パラジャーノフの血の色、A・ホドロフスキーへの捩じれた愛着

オーディトリウム渋谷で開催中の特集上映を意識して借りてきたダニエル・シュミット『ヘカテ』(1982)ひたすら美しい。光と影。移ろう色彩。官能。VHSの画質じゃああんまりでした。確かに劇場で観るべきの感。このあいだ観たマルコ・ベロッキオ『肉体の悪魔』(1986)に通じるものも感じる。80年代ヨーロッパの洗練という表現では、ワキが甘いかな。ただ、ヒロインであるヘカテに‘魔性’を感じたかというと、そうでもなかった。ベロッキオの主演女優の方が微妙に狂っていて怖かった。(ダニエル・シュミットは『ラ・パロマ』も未見なので、それは今後の課題。)

昨日ユーロスペースの特集上映で観たパラジャーノフの『ざくろの色』(1971)には、‘趣味のいいホドロフスキー’、という感想を抱いた(的を射ているかどうかは別にして)。視線を釘付けにする密度の高い映像美。ソビエト辺境に想を得た‘動く宗教画’という趣。水、石、布、紙の独特な質感。ざくろの色は血の色。隠喩が層を成して風景をかたち造っているかのような。が、たぶん、主題になっているアルメニアの国民詩人サヤト・ノヴァという人の来歴も作品も知らない私のような人間には、ほとんどこの映画の核心は伝わっていないのだろう、とも思う。宮沢賢治の春と修羅や銀河鉄道や雨ニモマケズや妹の死や農学校教師体験や法華経との縁など何も知らない外国人が、宮沢賢治の生涯についての美学的・暗喩的・寓話的な映画を観ているみたいなものなんだろう、と私なりに喩えてみる。(実は何度も寝落ちしてしまった…)

で、一方、昨日珍しく劇場をハシゴして観た2本目のホドロフスキー『リアリティのダンス』(2013)の方はといえば、期待度が高すぎたのか、やはりホドロフスキー趣味は私のそれとどこかが決定的にズレているのか、途中からあまり気持ちが入れ込めなくなって、早く終わらないかな、みたいな気分で観ることになってしまった。代表作三作とは違って、目を閉じたくなるような‘悪趣味’の場面は皆無だったし、マジックリアリズム的なホドロフスキー流の飛躍も楽しめたし、また、ある意味代表作三作のバックグラウンド(彼の生い立ちの困難)がとてもよくわかったという意味で興味深かったし、でもどこか、手放しで賞賛するのとは遠い気分が残った。なんだろう。「ホドロフスキーの伝記」として、ホドロフスキーを賞賛する人に対しては意味を持つとしても、これがその背景から独立して優れた映画か?、というと、そうとはあまり思えない、といったあたり。私にとって最良のホドロフスキーは、実現しなかった『DUNE』なのかもしれない、という捩じれた愛着。

2014.07.15

パラジャーノフとホドロフスキーをハシゴするなどバタバタ動き回った一日

ユーロスペースパラジャーノフ特集を観に行かねば、と急に切羽詰まった気分になり、ばたばたと用意をして11時からの『ざくろの色』(1971)にどうにか間に合う。タイミングが合ったので続いてアップリンクホドロフスキー『リアリティのダンス』(2013)、隙間の時間にはアップリンクから程近いSPBSに行って1冊文庫本を買う(金井美恵子『愛の生活』)。リアリティのダンス劇場鑑賞後、迷ったがやっぱり渋谷TSUTAYAにも立ち寄って稀少ものVHSを3本借り(D・シュミット、パラジャーノフ、アンジェイ・ワイダ各1本)、その後、渋谷から地元・吉祥寺に戻って他にもこまごました用事や買い物をいくつか済ませた。気分的に慌ただしかった一日。

初パラジャーノフとリアリティのダンスについてのレポートは、明日以降。

2014.07.14

田舎と都会の相克。たとえば70年代『祭りの準備』の場合と2010年代『あまちゃん』の場合とでは

早朝のW杯決勝放映時間を勘違いして、結局最終局面、延長後半の10分ぐらいしか観戦できなかった(ちゃんと最初から観ていた他の家族にばかにされる)。この時間帯にドイツが唯一の得点を上げたので、まあ肝心なところは観られた(??)と言うべきか。メッシのアルゼンチンをタレント多数のドイツが下し、ドイツ優勝。

discasのDVD2枚目、黒木和雄『祭りの準備』(1975)を観る。色褪せたように目に映るテクニカラーが、いかにも70年代のATG。とっかえひっかえセックスシーンが挿入され、そういう時代なんだなあという感想も抱く。という具合に、見始めた時は古さが気になったが、見終わってみると、名画。地方から東京を目指す青年の「時代精神」みたいなものが結晶している。貧しく、旧態依然としていて、ひたすらどろどろとしがらみに絡みとられる1950年代の田舎の「生」からの脱出願望そういう文脈って、たとえば最近でも『あまちゃん』で形を変えて反復されているんだけれど、少なくとも1970年代(に描かれた1950年代)と2010年代(同1980年代)では手触りとか構造が根本的に違う。どう違うのか。

黒木和雄映画の原田芳雄は、黒澤明映画の三船敏郎をちょっと連想させた。

2014.07.13

エヴァのシンジ君に辟易する

昨日届いたdiscas DVDは、大林宣彦『この空の花 長岡花火物語』(2012)黒木和雄『祭りの準備』(1975)。昨日と今日で『この空の花』の方を観終える。大林監督って、こういう実験的な手法で映画を撮る監督だったんだ!?、と初めて認識。高2息子と一緒に観た。戦争について考えを深める映画を、息子の年齢の人間が見ることは有意義に違いないと、親目線で自画自賛的に自分の行いを称揚?しつつ。(本人が自ら選んでこの種の映画を観ることはないだろうし!)

そのあとに二人で観たのが『エヴァンゲリオンQ』(2012)だったというのは、ややアレなんですが。三度目の正直、と淡い期待を抱いていたが、やっぱりダメだった。エヴァは永久に着地に失敗し続ける。シンジ君のあのキャラ、女の私には決して受け容れられない。強い彼女(アスカ)と更新し続ける幻想の母(レイ)に守られ、乗り越えられない父(碇ゲンドウ)の壁を前に敗北を続ける、繊細にして自分の意思を持たずいつも周囲に依存している苦悩男子。そんなシンジ君に、私は心からうんざりです。エヴァのメカとかバトルとかがこの上なく美しくかっこいいことには、一も二もなく同意するんだけどね。

「のび太くんとシンジ君と日本人男子」っていうテーマ設定、ぜったいあるとおもう。

2014.07.10

サウジアラビアの少女の生活を、映画を通して目撃するという経験

朝からW杯準決勝、アルゼンチンvsオランダ。昨日のブラジルvsドイツは観戦せず、ブラジル大敗の結果を家族から聞いて息を呑んだ。今日は6時に起き出し、最初から観ていた高2息子と一緒に後半戦、延長戦、PK戦まで観る。力を抜いているように見えるが結果を出すメッシが印象深い。

TSUTAYA DISCASのDVDにて、映画が禁止されている国出身のサウジアラビア人女性監督×ドイツ制作による映画、ハイファ・アル=マンスール『少女は自転車に乗って』(2012)を観る。映画のプロット自体は素朴といえば素朴なのだけれど、初めてみるサウジアラビアの街の景色、女性、住まい、学校、人々の姿に目を奪われる。人々の心情、生活、社会に「コーラン」がどんなふうに根を張っているのか、その実態の一面が、自由に生きたいと願う一人の‘お転婆’な少女の行動を通して活写されていて、とても興味深かった。

久しぶりにTSUTAYA店舗(西荻店)に行き、試験休みに入った高2息子ご希望の「エヴァ」三部作(序・破・Q)を借りた。

夜、突然ひどい疲労感に襲われる。エヴァ序を見終わらないうちに二階に上がり、早寝。

2014.07.08

ワン・ビンの極北ドキュメンタリーに感嘆する

ワン・ビン『三姉妹〜雲南の子』(2012)の後半を観る。傑作。

【ネタバレ注意】10歳英英(インイン)、6歳珍珍(チェンチェン)、4歳紛紛(フェンフェン)。三人とも泥と垢で塗り固まったような肌の色をしている。最近のNHKドラマでしばしば見るような、昔の田舎者の貧しさを表す記号としての汚れメイクとは根本的に違う、身の内から染み出るような汚れの色。長女インインはぼさぼさの長い髪をポニーテールにしているが、幼い次女と三女は、坊主頭に近い短髪(時間を経過した後半では、この短髪が四方八方に伸びる)。10歳といえばドラえもんならのび太くんの年齢。でもインインにはドラえもんに甘えて泣いているような暇はない。羊を追い、牧草を刈り、薪を整え、火をつけて鉄鍋で芋をふかし、妹たちの世話をし、勉強もする。祖父からは「勉強なんてして。羊が逃げたらどうやって暮らしていく!」と責められながら。鎌や斧を恐れることもなく日々の暮らしで扱う10歳の少女。草を刈った鎌を背中にしょった籠の上に何気に放り入れて背負って帰り(首の方に落ちてきそうでハラハラしてしまった…)、その同じ大きな鎌で鉛筆を削る。泥と藁で塗固められただけのような家。叔母の家には電灯とテレビがある。叔母の家に食べ物を分けてもらいに行く。居場所の不安定さを表すかのように、立ったまま落ち着きなく食事する長女。三姉妹が余計者として扱われていることが見てとれる。叔母の家の食事は湯気が立ち、それなりに料理されていた。が、三姉妹だけの食事はしばしばふかしたじゃがいもの皮をむいてかぶりつく、それだけ。三姉妹の両親はどうしたんだろうと思っていると、父が久しぶりに出稼ぎから帰ってくる。祖父との間で、嫁をとったらどうか、のような会話が交わされる。しかし姉妹の母親の不在についての情報は、映画の中では最後まで明かされない。出稼ぎではないようだ。死んだのだろうか。出奔したのだろうか。予告編やチラシでは、出奔したということが明記されていたのだが、私は事前情報なしで観たので、最後までどちらなんだろう、と思い巡らし続けていた。父は32歳。今の日本の32歳とはえらい違いだ。ずーーっと大人。老けている、と言い換えることもできる。いやむしろやっぱり、「大人」なのだ。みるからに、生きることに自ら責任を負っている。「生きる」こと自体が、ここではシンプルで原初的父が帰ってくると三姉妹の家の雰囲気ががらっと変わり、明るく、力強くなる。次女と三女が父に甘える。父は4歳の三女を膝に抱いてとても可愛がる。長女と二人で、泥まみれの幼い2人の体の汚れを湯で丁寧に落とす。着替えさせる。父は出稼ぎ先の町へ、次女と三女をこれから連れて行くのだ。長女は残される。「町は教育費が高いから」なんだそうだ。でも、二人の妹の世話をすることのなくなった長女は、身軽になって生き生きしているようにも見える。羊を追う高原で、ひとつ違いの11歳の男友達に出合う。この男の子がなかなかいい面構え。身振りの端々で、長女インインがこの子に好意を抱いていることがわかる。見渡す限り牧草地の丘陵に、ジブリ『ラピュタ』のシータとパズーを連想する。生きることの原点。シータとパズーの子供ひとりだけの生活はそれぞれ、もう少し小綺麗で文明の香りがしたのだが。あれは「虚構」の美しさか。ちなみに、村に残っている女性たちは少しも「美しく」ない。極限まで素朴。インインも。だが、インインの「動物的」な「強さ」に、ひたすら惚れ惚れとする。後半、父は2人の妹たちを連れて町から帰ってきて、村での生活をあらたに始める。「子守りの女性」とその娘、というのも一緒に連れ帰っている。連れ子の女の子は、三姉妹と同じような年齢だけれど、働かない。母親と三姉妹が洗濯する川のほとりで、遊んでいる。「子守りの女性」は、シラミだらけの末妹フェンフェンを、ひどく邪険に扱う。幼い二姉妹が口ずさむ「ママ」の歌。ラストシーンは、末妹を抱きかかえるようにして丘陵の道を延々と歩く長女インインと三女フェンフェンの後ろ姿。インインは最初から最後まで同じ泥まみれのパーカーを着ていた。

ニッポン古屋敷村、雲南の子、と、最近偶然続けて貧しい農村のドキュメンタリー映画を観たが、人間の原点が地続きだとあらためて感じる。私たちがもう戻ることのない道ではあるけれど。

そうだ、ワン・ビンの新作『収容病棟』イメージフォーラムで始まっているのだった。かなり長尺みたいだが、ともあれ観に行かなくては。

ジュノ・ディアス『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』2章分ぐらいを一息で読み進める。30年前の‘なんクリ’がブランド名で埋め尽くされていたように、オスカー・ワオはサブカル起源の固有名で埋め尽くされた世界。カリブ海サント・ドミンゴ出身の移民家族の物語、と、「サブカル」の混交が面白さの核心か。

2014.07.07

雨の七夕 / 東西アジアの‘少女映画’

そういえば今日は七夕。笹飾りを飾った最後の年は2011年だった(←実は最初で最後!!w)。娘が大学に入って京都へ行き同居家族が3人に減ったばかりの頃。遠方の娘から聞き取って代筆した短冊は、「単位が取れますように」だった。(うーん。……)

今年の七夕は雨。宮古島地方には、最大瞬間風速75m・高潮14mなんていう信じられないような大災厄の予報が出ているが、果たして。

今月のTSUTAYA DISCAS第二弾として『三姉妹〜雲南の子』と『少女は自転車にのって』の2本が届いた。期せずしてアジアの東側と西側から、「少女もの」が揃い踏み。夕食後、ワン・ビン『三姉妹〜雲南の子』(2012)の方を見始める。とりあえず今晩は、2時間半のうち1時間半ぶん。たとえようのない生生しさ。その画面から、「普遍性」のようなものが滲み出る。

2014.07.04

独立記念日の花火の記憶 / シンクロニシティってあるのかな

7/4といえばアメリカの独立記念日。1990年代初めに1ヶ月間ニューヨークに滞在した時、現地在住の友人に紹介されたNY育ちのバイリンガル在米日本人姉弟と一緒に(…じゃなかったかもしれない…)ハドソン川の方へ花火観に行ったことをふと思い出す。ものすごい人出だった。あれから20数年。

TSUTAYA DISCASで届いたDVDにて、石井裕也『舟を編む』(2013)を観ている。松田龍平、宮崎あおい。評判に違わず、いいです。

舟を編むを観て感動していたら、大学4年生の娘からメールが届いて内定が出たことを知る。めでたい!めでたい!よかった。(『舟を編む』の松田龍平に自分の娘をどこか投影して見てしまっていたので、よけい嬉しかった、というか‘シンクロニシティ’めいたものも感じた)

で、その後、ユーロスペース小川プロ特集『パルチザン前史』を観に行って、家族3人(京都在住の大4娘は当然除く)で西荻駅改札で待ち合わせて大4娘の内定祝いにお寿司食べて、ビールのおかげで眠くなって、でも9時からテレビで放映された夏休み前・金曜ジブリ枠の『もののけ姫』を高2息子につられて観て、でも眠すぎで行き倒れ状に寝て1日おしまい。

2014.07.03

吉祥寺図書館で気晴らしをする

お金を使わず気晴らしをする!という方針のもと、ものすごく久しぶりに吉祥寺図書館まで自転車で走った。借りたもの。『新潮』2014年1月号(遅ればせながら,蓮實重彦先生のボヴァリー夫人論(の冒頭)を読むため。つい数日前に単行本も出たようだが、高価すぎてアマゾンポチれなかった)、『ユリイカ』2014年2月号(堤清二/辻井喬特集)、ジョナサン・リテル『慈しみの女神たち』(とりあえず上巻のみ。ずいぶん前に出た気がしていたが、2011年5月の刊だった)、ジュノ・ディアス『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』(これとミランダ・ジュライ『いちばんここに似合う人』は必読書に違いないと思い何度も書店で手に取ったのだが未だ買ってなかった。都甲幸治訳。この本も2011年刊だった)。吉祥寺図書館地階の一般書棚を分類番号順に一巡りしてみる。狭いからこれも可能。20世紀の著名住宅建築を編年体でビジュアル構成した豪華本と、椹木野衣編集の岡本太郎本(これも豪華。定価2万6千円!でなぜか同じく2011年刊)を立ち読み。欲しくなった。(今現在とても手がでないけれど。)

いちお気晴らしになった。(有料会員になりたてのTSUTAYA DISCASからは『舟を編む』『ビフォア・ミッドナイト』が届いて嬉しい。まだ観られてないけれど)

2014.07.02

それにしても私は「運命の愛」が苦手 ---‘人形愛’の系譜を受け継ぐ映画『her』を鑑賞して

昨日は渋谷シネマライズにてスパイク・ジョーンズ『her 世界でひとつの彼女』(2013)を1日(ついたち)割引1000円で、今日はデジタルTVのHD録画保存分からマルコ・ベロッキオ『肉体の悪魔』(1986)、イエジー・スコモリフスキ『ライト・シップ』(1985)を観たスコリモフスキ、ベロッキオよかった。

『her』のロマンチシズムはどうも私の気持ちにぴったり来ない。この種の恋愛ものが苦手なのだろうか。「運命の愛」みたいなのを突きつけられると、辟易としている自分に気がつく。いつだったか『私はロランス』を観た時とちょっと似た感じ。たとえば、「運命的な恋愛」に破れる心優しい男子が主人公、という意味で『her』は『(500)日のサマー』にも少し似ているが、そして両者はエスプリが効いた軽やかでおしゃれな映画というところも共通するが、私は、『(500)日』はマルで『her』はバツ。どこが違うのかといえば……(ジョセフ・ゴードン=レヴィットは可愛くていいけどホアキン・フェニックスはオジサンだしハナの形がちょっと苦手、なんて他愛ない理由じゃ情けないよね。500日は「次」の恋愛に辿り着くが、herには「次」がない。そこかな。いや……)(her、「声」だけの存在としてのスカーレット・ヨハンソンは確かによかった)

herという映画の核心部分は人工知能との恋愛、という設定の妙にあるのかもしれませんが、そこに行き着く前でその「恋愛」の様態に辟易としているわけで、すでに設定の妙など楽しむ状態じゃない。画面全体の色調、フィルターがかかったように暖かい血の色、秋の木の葉の色をも思わせるオレンジ系の暖色がかぶっているところは好きでした。観ていて心地よかったというか。「人工知能」の既成のイメージ(冷たいメタル色?)を無意識のレベルでも覆そうと意図しているのだろうけれど。

映画her』に関連する最重要参照物件は、リチャード・パワーズによる長編小説『ガラティア2.2』(原著Galatea 2.2 1995 / 邦訳 2001) かな。人工知能に英文学を教え込もうとする若い学者がやがて自らが育てている人工知能に恋愛感情を抱き始める話。緻密なディテールを読ませる作品。こちらは、→ミュージカル『マイ・フェア・レディ』ジョージ・バーナード・ショーによる戯曲『ピグマリオン』と遡れる。ギリシア神話に登場するキプロス島の王ピグマリオンは、理想の女性の彫像をつくりあげその彫像に恋をする。彫像の名がGalatea。哀しくも奇形の人形愛。

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