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一見したところつるっとした質感で、ぴかぴかしていて(近寄って見れば年月のキズが無数についているかもしれないんだけれど)、陽気で、かといって平板ではなく奥行きと陰影を備えていて、喜劇と悲劇がそれぞれなんたるかを知った上で内蔵までしていて、しかしそれに溺れることなく抜群のバランス感覚を保ち、あぁこういうのを全能、っていうのかなあ、と、溜め息みたいなものが出ます。唐突かもしれないけれど、「市場経済」の全能な感じと、この三作目で完結した「トイ・ストーリー・トリロジー」の全能な感じは、ちょっと似ている気がする。アメリカ的な万能感、って言っちゃうと簡単なのかな。…とてもかなわない。
ウッディ、バズを始めとするレギュラー陣のキャラ立ちは相変わらず秀逸なのですが、今回はそれに加え、ゲスト陣とも言うべき「サニーサイド保育園組」がなかなか奥深い。いちごの香りのするピンク色の大きなハグベア、ロッツォに、人間の赤ん坊とおんなじ大きさのミルクのみ人形、ビッグ・ベビー。ロッツォのどこか薄汚れた体の色とビッグ・ベビーの開かない片目がちょっと不吉な予兆みたいなものを感じさせるのですが、案の定、この二体が、‘純アメリカ的’にして楽天的な(はずの)オモチャたちの物語の中に呼び込む‘世界の闇’は、意外なほどに救いようがなく、暗い。ま、ウッディたちは仲間の結束と持ち前の前向きなパワーでそれらを乗り越え、自分たちの‘未来’を獲得していくんですけどね。
オモチャたちの持ち主・アンディ君が大学に入学して家を出ることになった。さて、オモチャたちの運命は?・・・で始まるトリロジー完結編「3」、どこかで、「ハリウッド史上最高の‘脱獄もの’のひとつになるだろう」、みたいなレビューを読んだ気がするのですが、スリル満点のアクション映画としてもよくできていると思います(これってトイストーリー・シリーズの伝統技でしたね)。もちろん、子供から大人への成長の物語、出会いと別れ、‘愛’の物語としても。
そうそう、サニーサイド保育園組のゲスト陣で言えば、バービーちゃんとベストカップルとなるケンくん、忘れちゃいけないですよね。笑わせてくれます。ついでに、保育園組のオモチャの面々。ロッツォに支配されていた頃と、映画のエンディングロールのオマケで垣間見られる‘その後’では、すっかり人が(オモチャが?)変っちゃっているところがなかなかいい。‘この世の不幸’だけでなく、人(?)というものが持って生まれた‘浅薄さ’までも、こんなふうにさらっと、陽気な物語のなかに織り込んでしまうPIXARのセンス、なんかすごいなぁ、と、私は素直に感心しました。
最後に。この「3」は、「人間の物語」「人間とオモチャの物語」「オモチャたちの物語」が互いに響き合いつつ重奏しているその響き合い方が、とても心地よかったです。未来に向かって開かれた、ふくらみと余韻のある終わり方も。大人も子供も楽しめる永遠の‘定番’として、「トトロ」とこの「3」が双璧、になるんじゃないかな。
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トイ・ストーリー3
原題 Toy Story 3
2010年アメリカ映画/2010年7月日本公開
監督 リー・アンクリッチ
製作総指揮 ジョン・ラセター
出演(声) トム・ハンクス(唐沢寿明)、ティム・アレン(所ジョージ)
公式サイト / ヤフー映画 / eiga.com / IMDb / RottenTomatoes
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余談1)「深イイ話」って、この名のバラエティ番組、私、視聴したことないのにタイトルに流用してしまった。ズレてるかも・・・
余談2)「夏休み映画」を、夏休みが終わろうというこの時期に書き込む間の悪さ・・・ 先送り人間の悲しい性です・・・・・ なんと「夏休み映画・その3」として、『ヒックとドラゴン』も書くつもりでいるけど、明日が8月31日だったのでは?!?? 小学生に戻ったような気分です!?(…3本とも1ヶ月くらい前に見てたのに…)
余談3)過去の名作映画へのオマージュで溢れているところも、トイストーリーの魅力のひとつですよね。「3」について言えば、冒頭の「西部劇」のシークエンスや、ビッグ・ベビーの首が180度回ったところが秀逸だった! そうそう、シリーズ第一作が公開された頃、ウッディが「クリント・イーストウッド」、バズが「アーノルド・シュワルツェネッガー」へのオマージュで造形されている、と、映画評や紹介文などに書かれているのをよく見かけた(ような気がする)し、もはや私には2体のキャラはそういうふうにしか見えないんだけど、最近はそういう言及は見かけませんよね?(常識としてすでに皆がそう見てるからかな??…)。それにしても、トイストーリー第一作公開時、後にウッディ=クリント・イーストウッドがここまで大監督になることや、バズ=シュワちゃんがカリフォルニア州知事になることなど、誰も予想だにしなかったろうに・・・ 月日の流れを感じます。。
素材自体は、もうひとつの『トトロ』にも、『魔女の宅急便』にも成り得たものだったと思うのです。
でも、どこか決定的に、成り得ていない。
どうしてなんだろう、と、思いをめぐらせました。
トトロも魔女宅急便もアリエッティも、何気ない日常(何気なく見える日常)と「異世界」の間の交感、交流を描いています。
トトロでは、都会から田舎に引っ越してきた思春期前の姉とまだ幼い妹の姉妹が、トトロ=“怪物”=土地の神様と出遭い、心を通わせる。一人遊びしているうちに潅木の迷路に迷い込み、近所の古い神社の大樹の主=トトロを発見する幼い妹。妹はまだ、無意識のレベルで「ふかふかの怪獣」トトロと戯れる関係を結ぶことができる。いわば、まどろみの時を生きているみたいなもの。一方、しっかり者の姉は、帰ってこない父をえんえんと待つ森のきわの暗いバス停で、眠ってしまった妹をおんぶしているとき、隣にそっと、妹から話に聞いた「トトロ」が立っていることに気づく。姉とトトロの出遭いもまた、夢とうつつのあわいの時の出来事だ。姉は、頭の上に葉っぱを乗っけただけで雨に濡れそぼっている巨大な図体のトトロに「傘」を贈る。そのお返しに、トトロは姉妹に「種」を贈る。姉妹は庭に種を蒔く。夜の夢の中で、あるいは夢とうつつのはざまで、種は芽生え、数世代に渡る時を一瞬のうちに越えてみるみるうちに森に育ち、姉妹はトトロのふかふかのおなかにつかまって、月夜の里山、眼下に広がる田んぼの上空を自由自在に飛び回る。トトロと姉妹の交感は、森の匂い、風の音、水のせせらぎ、果てしなく広がる夜空につつまれて、どこまでも歓喜に満ちている。
なぜ、姉妹は異世界の怪物・トトロと出遭ったのか。そこにはある種の‘必然’が設定されています。姉妹は、重い病気を患って長い間入院している母がもしかしたら明日にでも死んでしまうかもしれないという不安、「母の不在」という決定的な欠落をかかえている。妹はだから昼間っから一人遊びをしているのだし、姉は妹をおんぶして雨のバス停で長い時間じっと父を待っている。楽しそうに田舎の生活に慣れていこうとしている二人の子供の心のなかの小さな間隙、抑圧された不安感、その中心をなす「欠落感」こそが、‘必然的に’、安定した日常の小宇宙に風穴をあけ、異世界の生き物トトロを呼び込むというわけです。
魔女の宅急便の場合は、一見普通の女の子として描かれている主人公のキキ自身が、魔女という名の「異世界」の生き物です(アリエッティが小人という名の異世界の住人であるのと同型ですよね)。そして魔女宅急便の世界のほうはどうも、人間界と異界が特に相手を排除することなく(かといって積極的に手を結ぼうというわけでもないようですが)、ひそかにお互いに依存しつつ共生している世界のようです。で、異界の側の若手代表選手、魔女のキキちゃんは、人間のほうが圧倒的に数が多い‘普通の世界’の真ん中で魔女として一人立ちし、自分なりの役割を得て生き抜いていかなくちゃならない。その第一歩として、13歳の誕生日に黒猫ジジだけを連れて修業の旅に出るわけです(アリエッティの設定が14歳だということが連想されます)。
魔女宅急便の世界では、異界と人間界が交差することの‘必然’が、すでに物語の屋台骨に組み込まれています。ある意味、異世界・世界の間隙で、さらに大きな‘世界’と折り合いをつけ成長していくために若い女の子(時に男の子)が‘修業する’(あくまでも前向きに!)って、ジブリ作品に繰り返し現れるモチーフですよね。魔女宅急便以外でも、耳をすませば、とか、千と千尋、とか(耳をすませばには「異世界」色がほとんどなかったけれど)。そして異世界との接点には、驚き、恐怖、ワクワク感、そして喜びの感覚が横溢していた、それがこのジャンルのジブリ映画の魅力の核心なんだと思う。
さて、「アリエッティ」です。
世界と異世界が出遭う‘必然’は、どんなふうに描かれているか。
もしかして‘必然’が描かれていない、あるいは描かれているとしても非常に「臆病に」、というのが、私の正直な感想です。
「人間に見られてはいけない」という小人界の鉄の掟が破られることの‘必然’が、アリエッティには描かれていない。私にはそう感じられます。思春期の入り口に立つアリエッティの冒険心や反抗心、ちょっとした失敗、人間の少年へのかすかな好意みたいなもの、人間の少年の側の生きる基盤の危うさ・存在の不確かさ、そういった要素では脆弱すぎると感じるのです。
あるいは、具体的なディテールに、「何か」が欠けている。言っちゃいましょう。私は、小人たちが「重力」に縛られていること、つまり「飛ばない」(!)ことが不服なんです。
人間に比べてあれだけ小さい小人たちが、人間たちから隠れながらも人間たちに「伍して」生き抜いていくためには、小人たちのあの装備、あの技術、あの在り方だけでは、感覚的に物足りない。やっぱり「飛ばせて」ほしかったのです(「宮崎駿的なもの」への期待感、先入観に縛られ過ぎなのでしょうか)。たとえば、なにか、あの、ナウシカのメーヴェみたいな、私たちが今まで見たことのない魅力的な乗り物、あるいは装置みたいなものを彼らに与え、小人たちに卓越した力、固有の魅力を付加してほしかった。小人たちが、ただ「小さく、弱く、滅びていくだけのもの」として描かれるのではなく、巨大な人間の側から見て、いくら小さくても得体の知れない力を秘めた魅力的な存在として、ある意味では「対等な」存在として、描かれていてほしかった。
世界と異世界が出遭う接点、その具体的な細部に湧き上がる、双方向的な‘驚き’や‘恐怖’、それらと表裏一体のこの上なく生き生きとした「喜び」の感覚、言い換えれば「神話」の生成みたなもの。それが、「アリエッティ」には欠けていた、と私は思うのです。
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借りぐらしのアリエッティ
2010年日本映画/2010年7月公開
原作 メアリー・ノートン『床下の小人たち』
企画・脚本 宮崎駿
監督 米林宏昌
出演(声) 志田未来、神木隆之介
公式サイト / ヤフー映画 / eiga.com / IMDb / RottenTomatoes
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余談)
実は個人的には、自分にとってこの映画のどこが気に入らないのか、すごくはっきりわかっているんです。
ありていに言えば、アリエッティを含めすべての登場人物の造形が平板だ、ということ。
直情的な物言いになってしまうけれども、特に、わたし的に‘許せない’のが、男の子の滞在先(お母さんの生家)のお手伝いさんの老女と、アリエッティのお母さんのふたり。こんなに主体性のない、ただ「因習的」なだけの(ン?私いったい何が言いたい??)、魅力らしい魅力の要素をひとつも与えられていない女性は、今までジブリのアニメで見たことがなかった。(ような気がする。) ただのひとりも!!(うーん、アリエッティの母のほうには、弱々しいとはいえ、「思いやり」や「母性」みたいな‘魅力’も付加されてないと言えなくはないかな…) それにしてもその声に樹木希林と大竹しのぶというふたりの名優を当てるなんて、なんていう無駄使い!!!!(…言い過ぎ?……)
余談の続き)
勢いあまって続けてしまいますが、なにをさしおいても、あの、お手伝いの老女!
こんな、絵に描いたように「蒙昧な」人物像を描いてしまっては、身も蓋もないじゃないですか。
少なくともジブリは、どんな悪人にも愚かな人間にも、それなりの厚み、両義性みたいなものを持たせて描いてきたのではなかったのか? お手伝いのお婆さん、そういえば顔が『ラピュタ』の将軍に似ていたけれども、(もしかして、『トトロ』のおばあちゃんにも似てた??!!!?)、…将軍の方はいくらムスカ大佐に「大馬鹿者」扱いされたとしても恐れ多くも一国の軍隊を率いているわけで、定型的とはいえ‘権威’のカリカチュアとして、「蒙昧」の立ち位置は心得ていた。
でもアリエッティのお手伝いさんの「蒙昧」に、私は何の意味も見出せない。
お手伝いさんの老女がこずるそうな笑みを浮かべて‘わるだくみ’を図り、失敗して一転、間抜け顔を見せるたびに、劇場のどこかで数人の小さな女の子がくすくす笑いするのが聞こえてきたんだけど、そうかぁ、子供には受けたりするのね、、、と溜め息が出た。トムとジェリーで、失敗したトムの間抜け面を見て吹き出してしまうみたいな感じ??…でも私自身はもう、席を蹴って出て行きたいくらい、なんだか‘厭な感じ’を過剰に募らせていました。だって、地位も名誉も財産もありそうな旧家のお屋敷にご奉公する、自身はつましい身なりで見てくれも悪い下働きの老女がただただ馬鹿で無知蒙昧な‘悪役’だなんて、それ、いったい、なんなんでしょう?????(こんなに言いたい放題映画に悪口言ってしまってすみません)(それにしても私の感じ方、もしかして素朴すぎ?あるいは私、重要でない部分に必要以上に拘泥しすぎ???…)
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